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必死という言葉の本当の意味~リミッターを外せているか

尊敬する指導者の方が、数年前に話してくれたこと
「必死という言葉の本当の意味」
そのメモが出てきたので、備忘録としてここにまとめておきます。多少刺激的な内容かもですが、指導者の方々と共有しておきたいなと思いました。

これを聞かせてくれたのは確か2015年の年明けくらいだったかなぁ。
この方はアルゼンチンで選手経験もあり、日本だけでなく海外でも指導者をされていた方でした。僕は今でもこの方のことが大好きです。Passionが溢れてる。

では、以下どうぞ

東日本大震災の時、福島や宮城ではたくさん空き巣が入った。ほとんどが皆、生きるためにやった。
品行方正と言われている日本人でさえ、生きるか死ぬかになればそのくらいやる。例えは悪いが、皆、必死だった。

第二次世界大戦では、無理やりヒロポン飲まされて行かされたのかもしれないが、必ず死ぬと分かっていながら、特攻隊となって死んで行った人達がたくさんいた。
「そんな侍のメンタリティーをお前ら日本人は持っているんじゃないのか?もうなくしたのか?」と、アルゼンチンでは今でも必ず言われる。

日本人は、プロになる前までは世界一。しかし、プロになって、そこにお金が転がっていて、何億、何十億というリアリティーの中でのボールの奪い合いになると、絶対勝てない。
技術もアルゼンチン人より日本人の方がうまい。小学生や中学生でもボール扱いに特化したクラブが増えているが、あんなボール扱いは、アルゼンチン人は出来ない。
でもあのボール扱いは、日本の緩いディフェンスの中でなら出来ること。
南米や欧州の激しい守備の中であの技術を出せるかと言えば、まだ出せない。
メッシなんかは、少年時代から激しいプレッシャーの中でやって来たからこそ、あんなドリブルが出来る。

香川の限界。プレミアで通用しなかったのは、あの激しいプレッシャーに適応できなかったから。香川は日本人の中では確かにうまいが、ブラジルやアルゼンチンなら、香川クラスは100人以上いる。

ブラジルW杯、あのクオリティーの低いアルゼンチンがなぜ決勝にまで行ったか。皆、必死だったから。リミッターが外れてた。
アルゼンチンのTV局で、大会中、サベージャ監督だけを追った映像がある。その中に、試合中にアシスタントコーチが間違えてベンチの一番端、つまり監督席に座りそうになった時があった。
その時サベージャは烈火のごとく怒って、コーチをそこに座らせなかった。俺が監督だという自負もあるだろうが、勝つためにたくさん細かくゲンを担いでいたから、それが犯されるのを極端に嫌っていた。それほどに必死だった。

なりふり構わずな必死さ。
ブラジルW杯での日本代表にそれはあったか?なかった。必死さが最後まで伝わって来なかった。
ザッケローニが今でもスカパーの解説に呼ばれ、講演をして何百万も貰って帰る。そんなの自分からしたら許せない。ザッケローニには生卵ぶつけるくらいの人がいたっていい。

今、高校選手権が行われているが、負けたチームが泣いているけれど、君達まだ必死になれるでしょ、もっともっと必死にやれたんじゃないのか。
失点シーン、スライディングは出来なかったか。
自分が見る限り、どこのチームからも本当の必死さが伝わって来ない。
リミッターが外れていない。

何よりもまず、末端の指導者達が本当に必死になっていない。
試合に勝つため、目も前の選手達を本気で育てるため、一つ一つの練習、一つ一つのパス、練習の準備…本当に必死になって、細部まで必死にこだわっているか?

そこまで必死にならなくても、サッカーで「そこそこ」飯を食える環境が出来上がり過ぎてしまっている。

南米では、保有権を持っている一人の選手がチームを替え契約を結ぶたびに、その指導者に毎回インセンティブが入ってくる。(8%くらい…?)
億単位、何十億単位の選手を一人育てれば、その指導者も大金持ちになれる。
代理人システムをもっと根付かせて、ゆくゆくは、日本もそういうシステムにしていかなければと思う。

ヴェルディの育成は優れているのに、せっかく手塩にかけて育てた中島翔哉を
たった2000万で売った。信じられない。

このように、選手達だけでなく、指導者、フロント、サッカーを取り巻く環境、全てにおいて、日常での必死さが足りないのではないか。
まだまだ、手を付けるところがたくさんある。現段階では、世界のトップ10なんて遠い。それだけに、伸びシロもたくさんあるということ。

とりあえず以上です。リミッター、外していこうぜ!


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