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すばらしい日々

すばらしい日々だ
力あふれ
すべてを捨てて僕は生きてる
君は僕を 忘れるから 
その頃にはすぐに君に会いに行ける

すばらしい日々/ユニコーン

2年前の5月31日。20年以上も前に自らが始め、それまで長年かけて創り上げながらずっと続けてきた環境から、その日とうとう離れることになった。
明らかに人生の節目、ターニングポイントでもあった。さすがに、やっぱり少し悲しかった。

その夜、懐かしい教え子たちがZoom飲み会を開いてくれた。あの子達のそんな優しさにも触れ、やっぱり生きててよかったと心から思えた。その日だけでなくその代だけでなくいくつもの代の子達が、察して何も言わずに付き合ってくれた。
あの頃は「もう指導者とかいいや」と思ってた。正直懲り懲り。こうして一緒に呑んでくれて同じ時間を過ごしてくれた彼女達をはじめとする多くの教え子達との思い出がありすぎて、それだけでもう充分だし。

東京を離れて大磯にでも移住してサッカー以外の仕事をしながら、たまに彼ら彼女らと久しぶりに会って呑むとか。
残りはもうそんな人生でいいよね、と本気で思っていた。

・・・・・

その2年後、2022年5月31日。僕はやっぱりグランドに立っていた。

あの頃には知る由もなかった中学生女子達の監督として、一緒にグランドでサッカーしていた。
そして
「選手権初戦まで、今日からちょうど40日。この40日を、ここからまた一緒に本気でやっていこう」と、彼女達に話していた。

彼女達を勝たせてあげたい。彼女達の笑顔を見たい。純粋に心からそう思える。今の彼女達はそういう存在だ。
ここまで本気になれる自分に、また出会えるとも思っていなかった。あの子達が、コーチとしての僕を甦らせてくれた。素直に感謝してる。

この想いはそのまま彼女達にも伝えた。普段は生意気で生意気でやっぱりクソ生意気すぎる彼女達だが、そのときはちゃんと話を聞いてくれた。
選手達に対して自分の覚悟を自分の口で示したのなんて、果たして何年ぶりだろうか。ひょっとしたら初めてだったかもしれない。

2年前は「指導者なんて懲り懲り」と思っていたのに。
今ではこうして、自分の娘と変わらない(娘いないけど)くらいの年齢の少女達と、ほぼ毎日一緒にサッカーしている。

「やれ!頑張れ!」ではなく「一緒に頑張ろう」というスタンスで、今は彼女達と「笑いながら最強を目指す」毎日を送っている。

人生は何が起こるかわからない。どう転んでどう転がっていくかも、本当にわからないものだ。

・・・・・

もちろんこの2年の間には、彼女達に出会う前にもいろいろなことがあった。
2年前、それまで付き合いのあった人達がササーっと離れていったあの感覚は今でも忘れられない。あぁ、この人たちは単に俺を「◯◯クラブの監督」とだけ見ていて、そこにだけ「利用価値」を感じていたから「付き合っていた」ように見せていたのかと。そうじゃなくなった瞬間には付き合う価値ゼロ、何も言わず離岸流のように凄まじいスピードで離れていくんだな、結局「人」としては見られてなかったのかと思って淋しい思いもした。せつなかったな。

でもその反面、クラブを辞めても「個人レッスン」を頼んでくれる子がいたり、こんな俺を慕って連絡をくれて休日に集まってサッカーに誘ってくれる子達やその保護者の方々がいたり、上にも書いたようにかつての教え子達も、指導者仲間も、大先輩の方も。
LINEや電話などで常に連絡をくれて、気にかけてくれた人達がたくさんいてくれた。

こういうときに、本当の味方というか、仲間がわかる。こういう人達のためにこれからの自分は在り続けなきゃと本気で思ったし、こんな人達になりたい、とも思えた。

以前まで外部コーチをしていた某私立学校の中学生達が高校生になったタイミングで、今度はそこの高校サッカー部のコーチをさせてもらう機会ももらった。
外部コーチの宿命で彼らとは不意の別れになってしまったのだけど(いろいろあったのよ)彼らとともに表現したサッカーは、今思い出してもカッコよくて最高のものだった。彼らが20歳を超えたら、一緒に酒を飲んで思い出しトークでも出来たらいいのにな。

またそことは別の高校の先生が、僕がフリーになったことを知って声をかけてくれた。その先生が異動となってもその新たな高校にまたコーチとして呼んでくれて、週1回しか行けないけれども今でもコーチを続けさせてもらっている。練習の合間や練習後に行う楽しくマニアックなサッカー談義は自分の脳内アップデートに役立っているし、トレーナーのS氏にはサッカー以外の分野でも勉強させてもらっている。この間は仏教のことを教えてもらった。あぁ、俺も悟りを開きたい。

そして練習の合間にマネージャーの子達と繰り広げられる何気ないどーでもいい会話が、僕の中ではかなり癒しの時間となっている。まぁほぼ弄られているだけなのだが、彼女達がいてくれることで僕の副交感神経はかなーり助けられている。誕生日プレゼント、今年はグレードアップしないとね。

選手達はサッカーに対して真摯な子ばかりで、たった週1回だけれど彼らのためにそこで大切な何かを伝えられるよう、自分をもっとクリエイトしていかないとこの子達の想いに応えられない、とも思ってる。3年生にとっては最後の選手権も、もうすぐ始まってしまう。

この高校での時間は、僕の大切な居場所の一つとなった。出来るだけ長く、この関係は続けていけたらと思ってる。

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話はちょっと前に戻る。

今、ほぼ毎日一緒にサッカーしている中学生女子達はまぁ正直に言えば「INAC東京」というクラブの選手達なのだけど、以前からの仲間である越智健一郎がINAC神戸のアカデミー統括長に就任したのをきっかけに、INACの支部クラブであるこの「INAC東京」に僕を呼んでくれたという経緯だった。

親友に請われたのならば断る理由はないし、どうせ辞めると思っていた指導者人生の最後を締め括る意味でもこの話はやっぱり運命というものも少し感じて、こうしてJoinさせてもらっている。しかもここでは、昔からのもはや【盟友】とも言える鬼木さんや阿部さんとも、一緒に現場に立っている。

これまでのコーチ人生、あらゆる瞬間瞬間で僕にたくさんの彩りを与えてくれたこの仲間達と、こうして同じクラブで一緒に仕事をし、一緒に現場に立てるなんて。それだけでも奇跡的なことだし、幸せですばらしい毎日だ。

このINAC東京で女子サッカーの現場に戻ったことで、昔、高校女子のコーチをしていた頃にお世話になった方々ともめちゃくちゃ久しぶりに再会できる機会が増えた。
この土日だけでも、昔よく特別コーチとして呼んでくれていた東京成徳高校に練習試合に呼んでもらって、久しぶりに宮崎先生や高橋先生とも再会できた。この高校の卒業生達とは今でも交流がある。別に本当のコーチでもなかったのに。それくらい、選手とも先生ともなぜか波長が合った素敵な高校サッカー部。
昔よく来た場所に、いま自分が関わっている新しい選手達を連れて来て試合をしてるその光景がなんとも不思議で、なんとも感慨深かった。

変顔のクォリティーはもっと上げなアカン

翌日曜には、INAC高校生の公式戦でノジマフットボールパークへ。
あの日ノ本学園を全国3連覇に導いた後、新たなチャレンジとして関東に単身やってきて今はノジマステラ相模原のU-18で監督をしている田邊さんとも久しぶりに再会できた。試合では見事にノジマにやられたけれど(泣)
試合後に久しぶりに話せる時間もあって、とても嬉しい時間だった。田邊さんもこの場所で頑張ってるんだなと、その姿勢をヒシヒシと感じた。

新たな選手達と出会えたことで、こうして昔の仲間達と再会できたりもする。人生の巡り合わせって、面白いもんだなぁ。

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何かを始めるには、何かを終えなければならない。
新たな自分を引っ張り出せ。

これは僕が以前コーチに行っていた某都立高校の校長先生が、卒業式の祝辞で述べられていた言葉だ。

ずっと続けた何かを終わらせたことで、結果的に今がある。
そしてその【今】を導いたのは自分ではなく、ほぼ全て、自分の周りにいる【人】がつくってくれたものだ。

そんな人の縁は一生大事にしていきたいし、こんな不思議で運命的な人生の巡り合わせにも感謝をしながら、毎日を過ごせていければと思う。

INAC東京にはスクール担当ということで入ったはずが、なんだかんだでがっつりコーチとしてアカデミーに関わり、そしていろいろあった経緯の果てに、今では中学生の監督をさせてもらっている。それも全てが縁。導かれた運命だ。

巡り合わせの渦の中にいるさまざまな仲間や選手達に感謝をしながら、クッソ大切にしながら、ルフィになったつもりで。
導かれた運命を辿って、きょうもあすも生きてゆこう。

すばらしい日々だ



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