他者には真面目に、自分には不真面目に接するということ(アドラー心理学的観点から)
先日、山田五郎さんの「大人の教養講座」というYouTube番組を観ていた時に、ゲストとして出られていたみうらじゅんさんがとても興味深いことを言っていた。それは
他者には真面目に、自分には不真面目に接するようにしたいなと今は思っている。そしてこれは、それなりの修行が必要なのだと。
なるほどなと私は思った。
確かにその通りなのだ。
たいていの人はこの逆をやる。
つまり他者には不真面目に、そして自分には真面目に接するのだ。
みうらじゅんさんは言う。
「自分のことを真面目に考えれば考えるほど、人は自分のことばかりを考えるようになる。自分のことをまじめに考えすぎるから、人は悩むのだ」と。
アドラー心理学にはself interestという言葉がある。セルフインタレストとは「自分に関心を向ける」という意味で、アドラー心理学ではこれをよくないと考える。
つまり関心は自分ではなく、他者に向けなさいと。
これをアドラー心理学ではsocial interestと呼ぶ。このソーシャルインタレストは日本語では「共同体感覚」と訳されるが、実はこの共同体感覚こそが、アドラーが(その生涯で)最も大事にしたという、アドラー心理学の中枢にある思想なのである。
他者に関心を向けて、他者とつながり、他者と一体になる感覚。
共同体感覚とはシンプルに言ってしまえばそういうことである。
アドラーは次のように言っている
つまり、共同体感覚は誰もがその内側に秘めているものなのだが、それは意識して引き出し、育てていかなければならないものなのだ。
では、それをどのように引き出してやればいいのだろうか。
コツは、自分から関心を離すことだと私は思っている。
例えば、どうすれば(自分は)お金をもっと稼げるだろう?とか
どうすれば(自分は)人からもっと好かれるだろう?とか、そんなことばかり考えているというのは、自分に関心がありすぎるのである。
自分から関心を離してやるためには、みうらじゅんさんが言うように、自分のことをもっと不真面目に考えるべきなのだ。
つまり、(自分は)お金を稼ごうが稼がなかろうがどうでもいい。あるいは(自分は)人から好かれようが嫌われようがどうでもいい。
そんなことはどうでもいいという(自分に対する)不真面目さ。
こうすることで関心は自分から離れ、自然と他者へと向いていく。
共同体感覚はそのようにして引き出されていくものだと私は思うのだ。
でもこれ、実際にやってみてほしい。
実践するのはなかなか難しいことがすぐに分かるだろう。
みうらじゅんさんが言うように、自分のことを不真面目に考えるのは、ある種の修行なのである。
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