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「貧乏くさい」と感じる人間に隠された心理

貧乏くさい人間にはなりたくない。

これは社会人なった頃(20代半ばくらいから)常々思っていたことである。


貧乏であることと、貧乏くさいこととは違う。

つまり金持ちにだって貧乏くさい人間はいるのだ。

むしろ貧乏くさいという意味では、(ある程度の)お金を持っている人間のほうが、その特質を持ち合わせていることが多いのではなかろうか。

というのも私が貧乏くさいと感じる人間は

お金を稼いだり(運用などして)お金を増やしたりしているにもかかわらず、そのお金をできるかぎり使おうせず、貯めこもうとするタイプの人たちだからである。



周りを冷静に見まわしてみてほしい。


何のためにそんなに貯めこむんだろう?と思えるくらい、お金を貯めている人が必ずいるはずだ。


もしかしたら今の日本には、そういうため込むタイプ(私の言うところの「貧乏くさい人間」)が少なくないのかもしれない。




しかし、なぜお金を貯めこもうとするのか?

不安だからか。

確かにそれはあるだろう。一寸先は闇という言葉があるように、人生なんて何が起こるか分からないからだ。

大きな病気や事故に見舞われ、突然体が動けなくなることだってあるだろうし、近しい人がいつどうなるかだって分からない。

そういう意味では、お金はあるに越したことはない。これは自明の理なのだ。


しかしそれだけだろうか?

将来が不安という、ただそれだけの理由でお金を貯めこむのか。


おそらく違うと私は思う。

これは(もっと根源的な)メンタルの問題と密接にからんでいるはずなのだ。



そこでアドラー先生に訊いてみる。

アドラーは攻撃的な性格特性の一つとして、貧欲をあげている。


貧欲は、妬みと非常に近く、大抵は、それと結びついている。そのことで意味されているのは、お金を蓄えるということに限定される種類の貧欲ではなく、誰かが他の人を喜ばせる気になれず、したがって、全体や個人のために献身することを惜しみ、わずかな財産を守るために、自分のまわりに壁を高く積み上げることに本質的に表現される広く見られる形の貧欲である。81P

性格の心理学(アルテ)

ややまどろっこしく書かれているが、要するに貧欲とは、妬みの感情に近いもので、自分のことしか考えられない状態のことなのである。

そして私がお金を貯めこもうとする人に「貧乏くさい」と感じるのは、たぶん周りに貢献することを惜しむ人たちだからなのだ。

周りのため、他者のため、全体のために貢献したいとは思わない。
自分のことだけを考え、その財産を自分のためだけに守りたい。
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この貧しい精神が、私の目には「貧乏くさい」と映ってしまうのであろう。



貧乏くさい人間になりたくない。

だから私は、お金を稼いだらそれを(周りの人たちのためにも)使おうと思うのである。














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