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この正月休みに、「人類の進化」についての確かな知識を得よう。

ダーウィンの進化論を、人生やビジネスなどの文脈で語る人は少なくない。

そういう人はまず、「ダーウィンの進化論にもあるように」と前置きをつける。そして次のように断言する。「生き残れるのは強い人間ではなく、時代に適応できる人間なんです」と。

なるほど、確かにその通りなのかもしれない。進化とは強くなることでも優越することでもなく、変化し続ける環境に適応することなんだと。かのチャールズ・ダーウィンがそう言ってるんだとしたら、これは説得力のあるフレーズである。


しかし、ダーウィンはそんなことを言っていないし、そもそもダーウィンが書き残したのは「進化論」ではなく『主の起源』という全く別の本である。


世の中にはダーウィンの考え方と進化論について誤解している人があまりに多く、そのことに心を痛めた著者が記したのがこの本だ。


この本を読むと、ダーウィンの『種の起源』が最初は「神学書」として書かれていたこと(そう、ダーウィンは自然選択などの進化の法則は神が設定したものであると考えていたのであり、最初はそれくらい神への信仰が強かったのである)

しかし版を重ねるに連れて、彼の信仰は弱まっていったようで、だんだんと科学的要素を強めていく。

著者曰く、

ダーウィンは神への信仰を持っていた時期と、神への信仰を失った時期の中間で『種の起源』を書いている。そのため『種の起源』は神学書のようでもでもあり、科学書のようでもある、微妙な内容になっている。そしてダーウィンは間違ったこともたくさん言っている。でも、やっぱりダーウィンは、史上最大の進化生物学者なのだ。
進化論はいかに進化したか

『種の起源』が世に出る前から、すでに「進化」という考え方は知識人のあいだでは一般的なものになっていた。つまりダーウィンは進化論の先駆者ではないのだ。

それなのになぜ、ダーウィンとその著書だけがここまで有名になったのか?

それは、ダーウィンが進化に対する「自分の考えを述べた」だけでなく、「証拠を示した」からだと著者は言う。つまり「仮説」を立てるだけでなく、それを「検証」したのであり、そういう学者や本はそれまで存在しなかったのだ。


しかしダーウィンは、現代の進化論の立場から見れば間違ったこともたくさん言っているし、今でも通用する考え方とそうでないものとが混在している。

私たちが当たり前だと思っていた進化論や、進化に対する考え方の誤解を、この本はていねいに解きほぐしてくれるのだ。


そういう意味でこの本は、寒いお正月休みに炬燵に足をつっこんで、蜜柑などをつまみながらじっくり読むのに最適な本なのである。

この年明けに、ゆっくりと人類の進化に思いをはせながら、その真相についてきちんとした知識を得るのは決して無駄なことではあるまい。真実とは往々にしてそういうものなのかもしれないが、それはわれわれが思っているほどロマンチックでもなければ劇的なものでもないのだ。


そしてこの本を読み終わった時に、あなたはこう思うことだろう。

もう二度と、チャールズ・ダーウィンの名や進化論を軽々しく引用したりするのはやめようと。

そして、ダーウィンや進化論を人生やビジネスの文脈で(ちょっとカッコよく)語る人間を見かけた時は、「コイツわかってねぇな」と心の中で苦笑する。そんなニヒリストになれることをお約束する。

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