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「適切な時」に「適切な場所にいる」ためにできること

『適切な時に、適切な場所にいる』ことの大切さについて、考えたことはありますか?

私は最近、このことばかり考えてます。これまで、適切な時に適切な場所にいることができなかった自らの不甲斐なさと、これからの自分は、果たして適切な時に適切な場所にいることができるのだろうかと(うーん。後ろ向きだ)

でも、これってすごく大事なことなんですよね。有名な話としては、「我々人類(ホモ・サピエンス)がなぜ生き残れたのか」というエピソードです。


当時、人類は我々サピエンスだけではなく20種類くらいいたそうで、その中でも特に力を持っていたのが、体の大きなネアンデルタール人でした。

「森林」に暮らしていたネアンデルタール人は筋骨を発達させ、大型動物を狩るのに適した体型だったそうです。ところが当時の地球は寒冷乾燥化が進み、彼らの居住域である森林はどんどん狭くなっていった。

そして、その代わりに広がっていったのが「平原」だったんです。

その平原での狩猟に適していたのが、しなやかで持久力に富んだ我々の祖先、ホモ・サピエンスだったという話。つまり著者の結論は、「人類が生き残れたのは、適切な時に適切な場所にいたからだ」というきわめてシンプルなものなんですよね。

そう、乾燥寒冷化が進む時代(適切な時)に、平原(適切な場所)で狩りをしていなかったら、我々人類の存在はなかったのだと。


こんなに大きな歴史上のエピソードでなくても、もっと短いスパンや卑近なレベルで、こういうことは頻繁に起きているのではないでしょうか?

例えば「バブル期」に大学を卒業した人たちと、「就職氷河期」に必死こいて就職活動をしていた人たちとでは、雇用条件や待遇などが全然違うわけだし

一つの組織の中でだって、あと数年早く入社していれば(あるいは遅く入っていたら)もっといいポジションにつけていたのにとか、これほどの冷遇は受けていなかっただろうという例は枚挙にいとまがありません。(古い体質の企業ほど、年齢構成や入社順などを意識して人事を行いますからね)

自分の卑近な例をあげるのもなんですが、私は2007年~2009年頃に地元の仲間と自主映画などを撮っていて、それこそMacで映像編集なんかもやっていました。そして、まだ黎明期のYouTubeに動画をアップしていたわけです。(その頃はまだユーチューバーなんて言葉はなかったし、個人的にはただ自分の作品を「発表」できる場があるのが嬉しかったという感じです)

しかし、いかんせん黎明期ですから視聴回数などが伸びるはずもなく(映像自体が面白くなかったというのもあると思いますが)そのうち自主映画のコミュニティも自然解散してしまって、動画をアップすることもなくなってしまった。

YouTubeブームが来たのはその数年後でした。

でもその時には後の祭り。映像制作への熱はすっかり冷め、私はYouTubeを観て、楽しむ専門になっていたのです。

あと数年遅く自主映画を始めていたら、あるいはそれを意欲的に続けていたら、今のYouTubeの波に乗れていたのかもしれないと思うと、ちょっと情けない気持ちにもなるんですよね。

つまり私は、適切な時に適切な場所にいれなかったのだと。


でもこれって、半分は「運」じゃないですか。そう、「運」以上の何物でもないんですよね。(断言)


ちなみにみなさんは、「幸運」が訪れる確率ってどれくらいの割合か知っていますか?

幸運が訪れる確率は、なんと63%もあるんだそうですよ。

(以下のサイトをご参照)↓   ↓   ↓   ↓   ↓
https://www.google.com/amp/s/president.jp/articles/amp/6263%3fpage=1


まあ、これは統計上の話ですから、何にでも適応できる実践的な文脈で考えるならば、少なくとも50%以上の確率で幸運は訪れると考えても、誤りではないかもしれませんね。

適切な時に、適切な場所にいられる確率が半分以上あると考えると、私は少し希望が持てる気がするのですが、みなさんはいかがですか?


ではどうしたら、この半分以上の確率をものにできるのか?

私が出した結論はこうです。
それは、今「関心のあること・好きなこと・できれば楽しいと思えること」を止めないこと。

関心のあることや好きなことでも、時には中だるみはあるし、楽しいなと思えない時もあります。でも、それでも(ダラダラとでもいいから)続けてみること。

もうやーめた!っと、決めないことが大事だと思うのです。止めずに続ける。そう、継続は力なりです。


しかし(そうは言っても)、本当に飽きてしまうことは当然のことながらあります。人間の行動は正直なので、その時はもう仕方がないのです。

私のYouTubeのように、自分が飽きてしまった後に時代のビッグウェーブが来た場合は、これはもうあきらめるしかない。少ないほうの確率で外れを引いてしまった(適切な場所にいれなかった)と思うしかないでしょう。


ただ、自分が飽きてしまうこと以外の理由で止めてしまうのは本当にもったいないし、これは何としても避けねばなりません。

その際一番気を付けなくてはいけないのは、「対人関係」の問題だと私は思ってます。

どんなに関心があってどんなに好きなことをやっていても、人生には何事も、人間関係が付きまとうものだからです。

対人関係につまずいて、好きなことや関心のあることを途中で止めてしまうことは実にもったいないことですが、しかしこういうことはよく起こり得るのだといつうことを、我々は知っておかなくてはならない。

心理学者であるアルフレッド・アドラーは、「人間の悩みは全て対人関係の悩みである」と言い切ったほどに、この問題は意外なほど大きく、人生のさまざなところに関わってくるのです。


だからこそ、「対人関係の問題」で無駄なロスをしないよう気を付けた上で、関心のあること・好きなこと・楽しいと思えることを、地道に(地味に)続けていくこと。

これしかないと、私は思うのです。

そして運がわるくなければ(そう、半分以上の確率で)「適切な時」が巡ってくるのではなかろうかと。

そんなことを考えながら、このパンデミックな日常を過ごしています。


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