見出し画像

会社がなくなる?-大企業とタテ型組織の未来-

会社がなくなるという。

堀江貴文さん風に、「会社はいらない」ではなくて



会社自体がなくなってしまうというのだ。

私も会社員なので、会社がなくなっては困る。


しかしこの本のタイトルは何だ??

会社がなくなる!

しかもエクスクラメーションマーク「!」まで付いている

おどしているのか?不安を煽りたいのか?あるいは単なるハッタリか?

これは買って読んでみるしかないと思い、4泊5日の北陸出張に持参し、空いた時間でコツコツ読んでみた。


結論から言うと、世の中の全ての会社がなくなるのではなく、

大企業がなくなると著者は言っているのだ。

つまり「大企業の中小企業化」が進むのだと。

どういうことかというと、大量生産によって作られる同じ仕様の製品を低価格でという需要が減り、これからは多品種少量生産の時代が来るのいうのである。

そうなった時に、大企業はコストパフォーマンスがわるいのだと。


日本の企業は1970年からどんどん大企業化してきました。日本企業の過去50年を振り返ると、複数の子会社の部署ごとにバラバラに支払っていた経費を大企業化することによって一つに集約し、経費をぐんと抑えてきました。
言ってみれば効率化です。この経費の集約化によって日本は世界の冠たる地位を確立しました。
やがて大企業社員の高給化に伴い、一人頭の経費は大企業のほうが中小企業よりも高くなります。すると今度は分散化へのベクトルが働く-この現象がいま、起きようとしているわけです。たとえば経理だけ特別の別会社をつくって、そこに比較的低賃金の社員を配置して大企業の子会社にします。
それでも及ばす、人事部にいた50人を30人にして経費を落とす。部署をどんどん小さくする。こうして日本の大企業はどんどん子会社化して経費を下げていくわけです。今後、AI化、リモートワーク化が進めば、さらにスリム化できます。これは日本だけではなく、世界的な傾向です。





なるほど。言っていることは当たり前といっちゃ当たり前だし、何ら新しいことでもない。

要するに、膨れ上がった大企業は分社化・スリム化していかないと、多様性と多品種が求められる時代では無駄ばかりが増えて、とてもやっていけないよということだ。


しかし何ゆえに、「会社がなくなる!」なんていう過激な(いささか行き過ぎた)タイトルを著者は付けたのか?

出版社(編集者)が本を売りたいという意向で、このタイトルを推奨したことももちろんあるだろうが、著者のキャリアにも関係しているのではないかと私は思う。

というのは、この著者、丹羽宇一郎さんは、天下の伊藤忠商事の元社長・会長であり、社長就任当時、約4000億円あった不良債権を処理し、翌年度の決算で同社史上(当時の)最高益を記録したという、輝かしい経歴の持ち主だからである。

その丹羽さんが、大企業はなくなり、中小企業化するというのだ。

これには大きな説得力がある。

本というものは誰が、何を書くのかが最も重要であると言われるが、この本のマッチングはそういう意味では王道なのである。


この本の中で特に著者が力説しているのは、「タテ型組織を変革して会社を新生せよ」ということだ。

日本社会が「タテ型」という見立ては1976年、社会人類学者の中根千枝氏が『タテ社会の人間関係』(講談社現代新書)という著書の中で明らかにして一気に浸透しました。著者は、日本で見られる機能集団の特色は、個々人の資格や属性よりも「場」によると指摘しています。集団が形成される場に最初に就いた古株を頂点として、次に就いた者はその下位になり、というタテの関係ができあがります。………略………場となる小集団は封鎖性という特徴を持つため、非常に親密な集団にもなりえますが、いじめや長時間労働、非正規雇用への差別待遇、天下りといった負の側面を生む温床にもなりえます。

組織にかかわらず、このタテ型社会というのは、いわゆる「依存社会」である。上は下を支配することで所属感を持ち、下は上に守られることで安心感を得る、相互依存の関係なのだ。

丹羽さんは、これではダメだという。
つまり、このタテ型社会にもムダと弊害が多すぎるのだと。

タテ型組織のほうが上位下達、号令一下でスピーディーな意思決定ができそうに思えますが、現実はそうではありません。一つのことを決めるのに、上司-上司-上司と次々に上がって来なければ結論が出ません。……略……タテ型組織は直属の上司への報告・連絡・相談が最優先されるため、トップにそのまま情報が伝わらないことがあります。上司に阻まれて意見を言えないケースもあれば、上司が握りつぶして社員の意見がトップに届かないこともあります。一番下から一番上にメッセージが伝わるまでに何段階も減るため、最初の「白」という報告が、社長のもとに到着するときには「黒」になっているなんてことも起きがちです。

大企業になればなるほど、こういうことがよく起きているであろうことは想像に難くない。つまり大企業にはびこる「タテ型病」をなんとかしなくてはいけないのだ。


しかし著者は、伊藤忠商事という大企業のタテ型組織の改編に、失敗したのである。

なぜかと考えるに、やはり私の血液の中に脈々と受け継がれてきたタテ型意識が払拭できなかったからでしょう。上座に奉られ、「先輩」「親分」と立てられると、人は気持ちよくなるという抗しがたい性のようなものがあります。

実に素直だ。

組織や名前を変えても根底にある構造は変わりません。なぜなら、会社を動かしているのは組織や名前ではなく人間だからです。つまり会社を構成している経営者なり社員の根底にある考え方なり価値観を変えない限り、会社は根本的には変わらない

のである。

そして著者が出した結論はこうだ。

上からは社会構造を変えることはできないし、人間を変えることもできない。上からの号令で「変われ」と言って変わるのなら、それこそまさにタテ型社会の現れです。タテ型意識を変えるのは下からです。では「下」とはどこか。

著者が言う「下」とは、いわゆるZ世代(1990年代中盤から2000年代終盤までに生まれた世代)のことである。

Z世代は、少子化や核家族変化の影響で、生まれた時から家父長制や年功序列や年功制、上座・下座と縁が薄かった若い世代であり、いわゆるタテ型の刷り込みがない。それゆえに社会を、組織を変革できるのだと著者は言うのである。


まとめよう。

会社がなくなるとは、これまでのようなタテ型組織と、その構造で作られた大企業がなくなっていくだろうということだ。

インターネット(テクノロジー)によって加速化した現代では、タテ型組織には無駄が多く、そのスピードに対応しきれないからだ。

様々な無駄をなくしていくためにも、大企業の分社化・中小企業化は続き、会社はよりスマートな形になっていくだろう。

そして、Z世代の活躍によってこのタテ型組織(タテ型意識)が変わっていくならば、これまでのような、いわゆる「会社の形」はなくなるのかもしれない。

つまり、会社はなくなるのだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?