日本の酒事情-ワンカップ大関のおっちゃんたちがスタンダードになる-

缶ビールや缶チューハイなんかを飲みながら、路上を歩いている人を見かけることが多くなった。

コロナ前は、コンビニの前にたむろして酒を飲んでいる若者(とも呼べないような男たち)をよく見かけたものだが

今は普通に、「歩き呑み」をする若者(とも呼べないような男たち)を目にすることが増えたような気がする。

(しかしそういう行動を取るのはなぜ男性ばかりで、女性は少ないのだろうか)



日本の不景気が、コロナ前からであることは言うまでもない。経済には明るくないので、なぜそうなっているかを理路整然と説明することはできないが

結論だけを言ってしまうと、いわゆるサラリーマンの給料が上がっていないのだ。

そんな安月給でヒーヒー言ってるサラリーマンにとって、そして「三度の飯より酒が好き」という輩(やから)にとって

コンビニで酒を買って呑むというのは、一つの発見だったのではないかと私は思うのである。


そう、一つの発見。


つまり居酒屋で酒を呑めば、なんだかんだで数千円の金を取られることになるが、コンビニだったら数百円で酒が呑めるという事実の再発見である。

日本の場合、酒の買えるコンビニが街のありとあらゆるところに存在し、しかも24時間休まず門戸を開いてくれている。

それはたとえ、コロナで街中の居酒屋が閉まってしまったとしても、煌々とした明かりを灯しながら、ビールや酎ハイやウィスキー、焼酎や日本酒やワインからカクテルまで、多種多様な酒を取りそろえてくれているのだ。

数百円の金を出せばどこでも酒が買えて、酒が呑める。それが日本という国だったのである。

長く続く不況とコロナパンデミックは、その当たり前ではあるが、みなが意識するまでもなかったこの事実に、改めて気付かせたくれたのではないかと私は思っている。



昭和の頃から、街にはワンカップ大関を片手に顔を赤らめているおっちゃんが必ずいた。(中にはホームレスの方もいたのかもしれないが)そういうおっちゃんたちを、ちょっと違う世界を見るような目で遠くから見ていたという人たちも、実は少なくないのではないか。

その頃はコンビニも多くなかったから、おっちゃんたちはおそらく酒屋さんとか、酒の自動販売機とかでワンカップの日本酒を買って呑んでいたのだろうと思う。

今は、24時間どこでも酒はが買えて、しかも数え切れないほどの種類の酒が呑める時代である。

つまり何が言いたいのかというと、今後はもしかしたら、居酒屋で酒を飲むのはちょっとした贅沢ごとになり

日本の酒呑みたちはコンビニで買った酒を路上で、あるいは公園のような屋外で、気軽に安く呑むことが多くなっていくのではなかろうかということだ。

つまりワンカップ大関のおっちゃんたちに、われわれはどんどん近づいていくのである。

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