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人生は勇気を試される試練の連続

今更ながら「君たちはどう生きるか」を読みました。
帯に書いてあるように「人として大事なものは何か?」を
教えてくれる本でした。

主人公のコペル君はある事件の時、勇気を持てなかったことによって
過ちを犯してしまいました。
自分の不甲斐なさ、取り返しのつかないことをしてしまったことに
後悔の念で苦しみ、病気にまでなってしまいます。

友人に不誠実を働いてしまった。

その事実に対して、次の行動はどうするべきか?
コペル君は悩みます。
最初は

「気づいた頃にはもう遅かったんだ」とか
「僕は証人になるために見届けたんだ」とか

自分の過ちを認めず、弁解というか、嘘をねじ込み
過ちをした自分を正当化しようと考えたりもしました。

でも、叔父さんとの語らいによって、自分がどうすべきかを理解し、
過ちを認め、勇気を持って友人へ精一杯の謝罪の手紙を書きました。
結果的に物事は一番良い方向へ向かいました。
読んだ方はこの愛と勇気の世界に、人間の希望を見出すのでは
ないかと思います。

もし、コペル君が勇気を持てず、自分の過ちを認めない、
人生の嘘に逃げ込んだ選択を取ったなら、コペル君は
友人を失ったでしょう。
でもコペル君は踏みとどまり、人として大事なものを守るために
勇気を振り絞って、自分の弱さと罪を認め、
最適な行動をすることで、友人を失わずに済んだし、自分に胸を張れる
結果となりました。

この本でのキーポイントは「勇気」です。

勇気があったから、コペル君は人として大事な行動を取ることができたし、
その成功体験をもとに、次の困難でも勇気を持てるようになるでしょう。
勇気を振り絞ることは次の勇気に繋がります。
一番大変なのは、最初の勇気です。

多分人は、この最初の勇気を持てるか否かで、人としての分岐、
傾向性がある程度決まると思います。
自分の弱さを嫌悪しながら自分に嘘をつき続ける人生か、
勇気を持って胸を張れる生き方ができるか。

坂道を転がり落ちるか、誇り高き頂を歩き出せるか。
弱いから逃げ癖がつくし、弱いから人生の嘘へ逃げ込む。
でもそれは、自分に後ろ指をさされながら生きていく惨めな人生の始まりなのです。

主人公のコペル君は優しい心を持った少年です。
自分より貧乏な豆腐屋の息子に対しても差別なく接することができ、
いじめにも加担しない素晴らしい子供です。
でも暴力という恐怖の前に屈して罪を犯してしまいます。

コペル君のような良い子でも、不測の事態に対して無力な時はあります。
そして恐怖で固まっている内に「何もしない」という罪を犯してしまう。
どんな善人だろうと誰だって罪を犯してしまうきっかけはあるのです。

コペル君は最初の勇気が必要なイベントで失敗をしました。
その結果罪悪感という地獄の苦しみを味わいます。
あの時どうすればいいかなんてわかりきっていた。
でもそれができなかった。
自分に胸を張れる行動ができなかった。
その勇気が持てなかった。
でもその失敗で思い切り苦しんで、病気にまでなって、
どうするべきかを考えて、次のイベントでは最初の勇気を持てました。
それは、人生の先輩である叔父さんや、母親による
勇気づけの影響も大きいです。
しかし、最終的にコペル君は自分の意志で勇気ある選択を選び、
友人と、自分の誇りを取り戻しました。

多分コペル君はこれからはそうそう失敗はしないでしょう。
試練という断崖絶壁で、勇気を持つことの大切さと、
その勇気の向こう側にしか幸福はないのだということを学んだからです。

僕はこの勇気こそが、人生を豊かに、そして誇りある後悔のない人生を
歩むための最大の要素だと思っています。

アドラー心理学は「勇気の哲学」と言います。
課題の分離や、目的論を認めること、自分の弱さを認めること、
他人の弱さを認め許容すること、人の役に立つために他人を信頼し、
世界は素晴らしいものだと信頼し、自らが先頭に立って
人間愛を実践すること。
全て勇気が必要です。

そして人生は事あるごとに勇気を迫る分岐点を用意してきます。
ここで勇気を出せるか否かで、人生の格が変わっていきます。
人生の格、即ち「人格」です。

勇気が出せなければ坂道を転がり落ちていき、
勇気を出せなかった選択によって傷つき、より勇気を出しにくい心へと
変化していく。
逆に勇気を出せた人はその先にある希望を感じ、より勇気を出しやすい心へと変わっていく。

だから、「最初の勇気」が一番大切です。
ここで良い循環、正の螺旋に乗ることができるか、
負の螺旋に飲み込まれるかが決まるのです。

コペル君には幸いなことに、人として大事なことを教えてくれる
叔父さんがいました。
コペル君が弱さの螺旋から抜け出すことができたのは叔父さんや
母親の「勇気づけ」のおかげでもあります。

そうやって多くを経験してきた大人が、まだ人生のあり方や
人として大事なことを知らない子供達に、
これらの重要性を伝えていくことで、人は幸福の螺旋を
受け継いできているのです。

何がきっかけになるかはわかりませんが人は必ず失敗しますし、
失敗したら次はそうならないよう反省して、勇気を振り絞れば
いいだけです。

話としては非常にシンプルですが、実践することは難しく
実行することは恐ろしいです。

親や他人に虐待されて、つらい目にあって他人が信用できなくなった人が、どうやって他人を信用する勇気を持てるようになるのか?

勇気がなければ他人を信用できるようにならないが、
他人が信用できないから勇気が持てない。

卵が先か鶏が先かみたいな話です。
これが負の連鎖です。
でも、何かがきっかけに、勇気を出すことができたなら、
そのマイナスは一気にプラスへと逆転します。

その最初の勇気ために必要なものは何でしょうか?
本人の資質でしょうか?
違います。
資質で決まるなら、人生は最初から結果が決まった味気ない
消化試合になってしまいます。
勇気は後天的に得ることができ、人はいつからでも変われるし、
幸せになれます。

僕は親からの愛と教育が最初の勇気の土台になると思っています。
子供を生んで飯を食わせて学校に行かせるだけが親の仕事ではありません。
それらも重要なことではありますが、親の愛や教育も同じか、
それ以上に重要な責務だと思います。
学校で教える知識などたかが知れています。
学校で教えてくれるものは、社会での最低限のルールと、
社会で評価されるための知識、承認されるための技術
殆どです。
勉強ができて良い大学にはいっても、人格が低ければ
惨めな人生が待ってます。
人としていちばん重要な人格を備え、人としてより良くあろうという
正しい姿勢を学ばなければ、幸福はありえませんが
学校はそれを積極的には教えてくれないのです。

長くなってきたので一度話を切りましょう。
次は毒親やいじめによる基底欠損を含めた、勇気の欠落の話を
したいと思います。

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