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愛は花であると歌った曲の題名が何故薔薇なのか

ベット・ミドラーの名曲「The Rose」を知っていますか?
多分日本人の多くは高畑勲監督の「おもひでぽろぽろ」で
知った人が多いかなと思います。
僕がそうでした。
若い頃はその美しいメロディラインばかりに注目していましたが、
歳を重ねた今では、洗練された歌詞の意味にも注目するようになりました。

僕はこの歌の歌詞が大好きで、人生の本質を表したような印象があります。
この歌が問いかけている事はとてもシンプルです。

「愛とは何か?」

ある人は、か弱い葦を流してしまう川のようだと
ある人は、心を傷つける刃物のようだと
ある人は、決して満たされることのない飢えのようだと言う
私は愛は花だと思う、そしてあなたはその花の種である

傷つくことを恐れてありのままの自分を曝け出せないと
楽しく踊る事もできない(人生を幸福に送ることができない)

奪われることを恐れていると
与えることの喜びを知ることができない

死を恐れてばかりいると
生きる意味を見出せなくなる

孤独に打ち震えたときに考えて欲しい
寒い冬の下に眠る種も、
太陽の愛によって薔薇となるだろう

この歌詞は愛の意味を考えていると同時に、
人生についての核心をついています。
太陽の愛とは恐らく「無償の愛」を表していると思われます。
それは特定個人の愛情だけではなく、世界そのものに満ちる
愛情のようなもの、言うなれば「nature」的なものではないかと。
無償の愛を受け取った種はやがて芽吹き薔薇になるだろうという
含蓄のある言葉で最後を締めくくるわけですが、
久々にこの曲を聴いた時にふと思ったのです。

「何故愛は花と最初に言ってるのに曲名は「薔薇」なのか?

これは映画「ローズ」の主題歌として選出されたからという事が
大きいと思いますが、そういうリアルな話は置いておいて、
僕自身は愛は花と歌う中で薔薇が最後に選ばれたのは
薔薇には棘があって、その棘が人の弱さ、不完全性を
表しているのではないかと考えています。
要は愛を受け取って咲いた花であっても、花の陰にある茎には
弱さという棘がどうしても生えてしまうほど、
人はか弱いものなんだという事です。
人は太陽にはなれないけど、それでも大きな世界の中で
一輪の薔薇として「nature」を彩る一部となると。
こう考えると結構スケールの大きいすごい曲だなと
改めて思いました。

アマプラで映画の方を見ようとしたら残念ながら見つからなかったので
映画の内容はウィキでざっくりとしかわかりませんが
あらすじを見た限りでは映画の内容にシンクロしているのではないかと
思います。

原点である映画を見れないのは残念ですが、
他にも色んな映画の主題歌として採用されていて、
膨大な歌手がこの曲をカバーしている辺り、この曲の偉大さが伺えます。

時代を超える名曲ですね。
この曲に出会えてよかったです。
アドラーも課題の分離だの、感情は道具に過ぎないとか、
変われないのは自分が変わらないのを選んでるだけだとか、
冷静な正論パンチを繰り出してきますが、
最終的に人生の本質は愛であると言ってますし、
多くの哲学者も、仏陀も、キリストも愛や慈悲の大切さを説いています。
昔はラブ&ピースなんて言葉は陳腐だと思ってたのですが、
間違ってました。
人生は最終的には愛ですよ。
子孫を残すための生殖本能の話ではなく、人間は人間愛という
動物とは全く別の概念で生きるようにできている。
もしかしたら話が通じないだけで、植物や動物たちも
個を超えた太陽の愛みたいなものの存在を感じながら
生きているのかもしれませんね。
歳を重ねてようやくそういう事が分かってきたばかりです。
人生100年は長すぎると思う事もありますが、
こういう人生に対する考察をする場合、100年でも
なかなかその本質の意味を悟りつくすことは難しそうです。
それでは、

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