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舌が肥えれば肥えるほど、幸せから遠ざかる…?

単なる気付きと自戒のメモです。笑

金曜日の夜、仕事後に髪を切りに行ってきました。僕が中学校を卒業する頃くらいからずっと通っているお店で、店主さんとはもう16年?17年?くらいの付き合いになります。

それくらい長い付き合いなので色々な話をするのですが、二人の大きな共通点の一つが「ラーメン」です。

店主さんはかなりのラーメン好きで、札幌のラーメン事情についてかなりお詳しい方。で、僕もわりとラーメン好き。なので髪を切りに行くたびに情報交換をしたり、お互いが行ったお店の感想を言い合ったりするのが楽しみになっています。

先日も当然ラーメンの話題になったのですが(笑)、そこで飛び出したのが「山岡家は店によって味が違う」という話。

僕は全く知らなかったのでへぇと驚き、続けて店主さんから「あの店はあんまりだよね~」と挙げられた店舗が僕も1年以上前に食べて「……ん?」とガッカリしたお店だったので、さらに驚きました。

そして「そういうことなら、もうあの店には行かなくていいな」と思ったのです。

帰り道。21時過ぎのガラガラの地下鉄車内で引き続き同じことについて考えていたのですが、そこでふと「こうやって自分の舌の要求水準が上がったことに起因して"行かない店"が増えていくのは、本当に幸せなことなのだろうか?」と思いました。

実は僕、ラーメンに関してはこれを結構やりがちで……めちゃくちゃハマっていた白樺山荘も一幻も、ある瞬間に「違う」と思ってからは一切行かなくなりました。

要求水準が上がったのか、単に食の趣向が変わったのか、はたまた店側の味が変わったのか……というのは慎重に見極める必要がある気もしますが、「美味しい」というストライクゾーンが狭まるという意味ではどちらも同じで、その結果"行かない店"は確実に増えます。

すると「美味しいと感じられる選択肢」も減ってしまうので豊かさというか、もっと平たく言うと「幸せ」から遠ざかってしまうのではないか?という感覚に行き着いたんですよね。。。

先日、会社のメンバー(年下)が「僕はバカ舌なんですかね~何でも美味しいと思いますよ」という話をしていて、間違いなくこっちの方が幸福度は高いんだろうなとも思います。そう考えると、

高くて美味しいもの、こだわりの良いものも知っている、でも「美味しい」と感じる範囲は幅広い。

これが「食と幸せ」に関する理想の状態なのかもしれません。

高い/安いに関わらず、それぞれの料理・食材に美味しさや良さを見つける努力は、自分の側で怠らないようにしたいと思います。

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