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"知覚"価値なのだなぁ、と

先日の出張帰り、札幌に着いてから急ぎの用があったのでタクシーに乗りました。駅前のタクシー乗り場ではなく、"流し"のタクシーに乗せてもらうと、運転手さんは70代と思しき男性です。

僕が乗り、行き先を告げるとほどなくして「仕事終わりですか?」と会話がスタート……したと思いきや、1分後くらいから運転手さんによる"独演会"が開幕。笑

質問を織り交ぜながら自分の鉄板ネタにスムーズに運ぶ卓越したトーク術、ちょうど良く"毒"も含んだセンスの良い笑いに、10分ほどの乗車でしたがとても楽しませてもらえました。

タクシーから少し話を広げて。

列車も飛行機も自家用車もバスも、提供している"機能"は「現在地から目的地への移動」です。それ自体が大きな価値であります。その観点だけだと東京-大阪間を2時間半で移動する新幹線も、8時間?9時間?かけて移動する高速バスも、同じ「価値」を提供しているという理論になるわけです。

ただ、実際にはそれぞれの交通手段の特徴、いわば「移動」以外の部分の「価値」で人はその選択を判断し、自分が使う手段として選び取ります。

新幹線よりもさらに高い値段で、しかもたっぷり時間をかけて移動する寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」が特別な価値を求めて人気を集めるように、「話が面白い運転手」というのも確かな価値になるのだろうな、と今回の体験で思いました。

「価値」は、それを受けて評価する人の主観によってその良し悪しが判断されるものです。だからこそ「"知覚"価値」なんですよね。

商品・サービスの提供を推進する立場にいる人間として、このことを忘れてはならないなと改めて痛感します。

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