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「Instagramを見て期待しすぎました」というレビューの責任は誰が取るべきなのか?

最近、たまたま見たとあるお店のGoogle mapレビューの点数が普通ではまずないくらい低く、「おやおや、穏やかじゃないねぇ…」と思ってコメントを見てみると、☆1評価をつけた人の弁としてこんな言葉が並んでいました。

「インスタで見てとてもおしゃれだと思って足を運んだけど、このクオリティにこの値段は見合わない」
「期待しすぎてしまったみたいです」

この他にも、似たようなレビューがあと数件ありました。書き方や切り口は違えど、全員が共通して主張しているのは「Instagramで高まった期待値と、実際にお店に訪れて見た/感じた現実とのギャップ」であるように感じます。

「インスタ映え」という言葉が生まれ、世間一般の価値観として広がってもう何年が経つでしょうか。

(もちろん全員がそうではないのですが、)世間一般の価値観になるということは、いわゆる"映え"写真を見て喜び、それを目当て(自分も体験したい/自分も同じ写真を撮りたい……etc)に消費をする人がそれなりにいるということです。

そういった市場のニーズがあるとわかれば、そこを狙って事業者側が仕掛けていくのもある意味では当然と言えるでしょう。

そしてそこを狙うのは、いいねやフォローなどのリアクションが欲しいInstagramのユーザーも同じです。バズを狙う投稿はどちらかというと守破離の"守"的なお作法に則ったものが多いのですが、同じような属性の人たちが同じような切り口で同じようなお店を取り上げる。

もしかすると写真映えを重視するあまり、肝心の味やサービスへの冷静なレビューをすることなく、自分のフィードを綺麗に彩るために"映える"写真の投稿を行っている……という人もいるかもしれません。

このような営みの繰り返し、積み重ねで、「期待」はどんどん高まっていくのです。そして、実際にお店に行ったときの商品やサービスとのギャップが大きいと、何倍にも大きくなったネガティブな感情がレビューの悪評となって返ってきます。

色々なケースはあるはずです。なので、お店/ユーザーどちらかの責任ということは言えません(よほど意識的にミスリードを狙っている、などの場合はまた別ですが)

こんな状況下で我々が「するべきこと」として確実に言えるのは、実際にお店に滞在している時間の体験を一番に重んじることだと思います。これは「SNS映え一本勝負」でやっている場合はお店にも言えることですが、基本的にはユーザー側の心がけとして。

お店に足を運ぶまでの期待感を高めるのも大事ですが、その時点で高めすぎてしまうと、客観的に見れば普通/悪くないものまでちょっとネガティブに見えてしまったりする可能性もある。それを防ぐためには「インスタはインスタ」として、自分で実際に行ったときの感覚を一番大事にするべきなんじゃないかなと。

なかなか、そこの切り分けも難しいですけどね。便利なSNS、上手に付き合って上手に活用していくのが良いかなと思います。

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