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インナーチャイルドを癒すには自分軸の発見が必要なわけ

ツインレイセオリーをなぞる過程でしばしば目にする『インナーチャイルド』と『自分軸』という言葉。

例えばこんなやつ。
『ツインレイ女性は恋愛依存体質の人が多いですが、サイレント期間中は内観によりインナーチャイルドの癒しを完了し、自分軸を確立してランナーへの依存を断ち切らねばなりません。』

……なんていうか、RPGのコンビボスかと思っちゃうよねw 内観しろって言われたって方法論からしてよくわかんないし、そもそも自分軸って確立するもんなの、どうなの。

インナーチャイルドの癒しについては、思い立ったところで即日どうにかなるもんではないってことは、大方異論はないと思う。一方で自分軸については何なのか、どこにあるのか、小一時間問い詰めたい。

思うに、最初から自分のど真ん中にあって、単に『自我』の砦に囲まれて見えなくなっているのが自分軸。『真我』と言い換えてもいい。その『真我』と戯れていた感情という子どもがすなわちインナーチャイルドなんじゃなかろうか。

どういうことかと言うと、社会の荒波を生き抜くために、あるいは肉親や庇護者の意に沿うために、具合の悪い行き場の無くなった未消化の感情は、『真我』のふりをした『自我』というよそ行きの砦の中に隠されて、無かったことにされて行く。これがインナーチャイルドの原型。つまり、インナーチャイルドは自分という迷宮の奥深くに存在しているのであり、癒しに到達するためには長年築き上げて来た『自我』をいったんまっさらにしなければならないのである。

インナーチャイルドセラピーの絶対的に正しいアプローチというものは存在しないとは思うけれど、信頼できるセラピストさんが見つかるまでのつなぎとして、おすすめしたいのが断捨離。

いきなり何、と思うかも知れないけど、現実世界が精神世界の投影であるならば、逆も然り。身の回りのごたついているものを、スッキリ整理して捨てて行く。それだけで本当に必要なもの、もともとそこにあったはずなのに、いつの間にやら雑多なものに囲まれて見えなくなっていたものたちが、有形無形姿を現して来る。内面世界の『自我』という砦の解体に、現実世界からアプローチするのである。

現実世界は必ず精神世界とリンクする。本当は私、こうしたかったんだ。本当は私、こう言いたかったんだ。無駄なものが削ぎ落とされて行ったとき、本当の自分、すなわち『真我』が露わになって声を発するとき、私たちの小さな子どもは確実に癒されているし、私たちは自分軸を生きていると言えるんじゃないかな。

そんなことを思う、今日この頃である。

※このエントリーに関しては、その後と称して続きを書く予定…たぶん。







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