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発達障害が社会で生き抜くためのことわざ

ことわざには、古いもので1000年以上前に生まれたものもあります。

それがなぜ現代まで残っているのでしょうか。

それはひとえに、ことわざが人間にまつわる真理をいいあらわしているからではないでしょうか。

昨日今日に著された本よりも、何十年、何百年の「時間の検証」を経て現代に残ることわざには、人類の叡智がつまっています。


僕が小さかった頃、なぜか実家のトイレには「ことわざ辞典」という本がおいてありました。

そして、うんこをするたびに読みふけっていたのです。

親がなにを意図したかは不明ですが、なぜかいつもおいてあったのです。

手前味噌ですが、そういった事情で、僕はことわざに精通していました。

大人になって困難にぶち当たるたびに、頭の中のことわざが僕の背中をおしてくれました。

発達特性をもってこの世に生まれ落ちた僕にとって、現代まで伝わった金言の数々は大変な救いとなりました。


今回は、そんな至極の金言の中から、発達障害当事者(以下当事者)に役立つものを厳選しました。



1.ミスや失敗をクヨクヨしないためのことわざ

○災い転じて福をなす

当事者にとって、失敗やミスなく生きるというのはほぼ不可能です。

しかし、これは多くの人が勘違いしているのですが、周囲の人は、ミスや失敗でその人を評価しているのではなく、ミスや失敗への対応でその人を評価しているのです。

責任逃れをする、損失をカバーしようとしない、対策を立てない、同じミスを繰り返す…

これにより評価が下がってしまうのです。

このことわざは、ミスや失敗をそのままにしておくのではなく、災いは福に変えることもできるんだということを教えてくれています。

つまり、ミスや失敗をしたら、責任を認めて、損失をカバーしようと努力し、再発防止のための対策を立てることで、むしろ自分の評価を上げてしまうといいのです。

災いを福に転じさせるのです。


○雨降って地固まる

ひとつ前のことわざに似ていますが、微妙にニュアンスが異なります。

当事者でなくとも、だれにだって悪いことはおこります。

でも、当事者は傷つきやすい人が多く、悪いことがおこると激しく落ちこんでしまいます。

しかし、発想を転換すれば悪いことにもいい面はあるのです。

例えば、人生がずっと好調であれば、だんだん喜びは薄れていきます。

悪いことがおこると、普段自分が受けている恩恵に感謝できます。

もしくは、また悪いことがおこるのを回避するために、努力したり準備したりするようになることもあります。

雨も降らないと地面が固まらないように、悪いことがおこらないと自分の土台も固まらないんです。

そのように、悪いことに対するとらえ方を転換してくれるのが、このことわざです。


○後は野となれ山となれ

海外には『ニーバーの祈り』という有名な言葉があります。

つまり、自分で変えようのないことはいさぎよく受け入れて、自分が変えうるものにだけ全力を注げばいい、というわけです。

いわれてみると納得できるんですが、なかなかこれができない人が多いんです。

このことわざは、「ニーバーの祈り」のエッセンスを最小限の言葉であらわしていると、僕は思っています。

僕は、ことがおこったときは、自分のやるべきことを粛々と行い、最後にこの言葉を胸のうちでつぶやきます。


2.人間関係を楽にするためのことわざ

○朱に交われば赤くなる

当事者には周りの人間の影響を受けやすい人がたくさんいます。

それは周囲になじめず、自分がどうしたいのか、どうすべきなのかがわからなくなってしまうから、ともいわれています。

そんなとき、悪い人間といっしょにいると、周りに影響されて、平然と悪いことをしてしまう人間になってしまう可能性もあります。

僕自身もそんな自分を自覚しはじめたころから、つきあう相手をしっかり選ぶようになりました。

「自分もこうありたい」と思える人たちとつきあうようになってからは、少しずつ理想の自分に近づけている実感をもてるようになりました。


○知らぬが仏

「262の法則」というのはご存知でしょうか?

どんな組織でも、自分に対して「好意的な人2割・どちらでもない人6割・好意的ではない人2割」がいるというものです。

つまり、自分がどうふるまおうと2割の人には嫌われるんです。

自分の目を、自分のことが嫌いな2割の人に向けつづけると、どんなに強靭なメンタルの人でも病みます。

それなら、「知らぬが仏」とすまし顔を決めこんで、自分に好意的な人の方を向いてすごした方が、よほど健康的です。


○触らぬ神にたたりなし

誰でも機嫌の波はあります。

当事者、とくにASDの人が犯しがちなミスとして、相手の機嫌を考えずに、いつも通り接してしまって逆鱗に触れる、というのがあります。

僕もそうでした。

むしろ、相手の機嫌で接し方を変えるなんて失礼だ、とすら思っていたのです。


ではなぜこのことわざが現代まで残っているのでしょうか。

つまりは、相手の機嫌をみて態度をかえた方が、いろいろうまくいくからなんですよ。


○負けるが勝ち

これは、人間関係における無益な争いを避けるための金言です。

戦うことを放棄せよ、といっているのではありません。

自分の意見を主張すべきときは主張したらいいのです。


当事者の中には、どんなときも自分が正しいと思うことを主張しなければいけないと信じこんでいる人がいます。

ですが、正しさの定義なんて、人の数だけあります。

自分の正義を貫きとおそうとするのは、相手の命を奪ってでも信仰を守ろうとする狂信的な宗教家と同じなんです。

「ここは戦う必要はないな」と感じたら、相手に勝ちをゆずってあげた方が、はるかに得るものが多いのです。

周りは、そんな寛大なあなたをきちんとみてくれています。

というか、人生において、勝つ必要がある場面なんてそんなにないんです。

ここぞというときに勝てればいいので、それ以外は「負けるが勝ち」です。


3.仕事でストレスを感じないようにするためのことわざ

○急がば回れ

ADHDの人は、通常運転でも視野が狭いのに、計画性のなさによって追いこまれた状況に陥ると、さらに視野が狭くなってしまいます。

そうなると、ミスがいつも以上に増え、非効率的なやり方に固執してしまい、想定の倍以上の時間がかかるようになってしまいます。

僕は、ルーティーン以外の行動をするときは、常にこのことわざを念仏のように唱えて、ゆっくりリラックスした状態を保つようにしています。

もし、遅れてしまいそうなら、早めに先方に「○分くらい遅れます」と伝えるようにしています。

ここで、いい格好をしようと「間に合わせます」「最短5分で仕上げます」といってしまうと、遅れたときに余計にマイナスイメージを与えてしまいます。

それよりも、余裕をもたせた時間を伝えておくと「お、早かったね」などと好印象を与えられます。

そして、時間的に余裕をもたせた状況の中で、急がば回れの精神で、丁寧に確実に行動をするのです。

そういう精神でなにごとにもとりくんでいれば、常に最適な行動がとれます。


○エビでタイを釣る

僕が、当事者の後輩を何人か指導してきて思ったのは、当事者は「自分がしてほしいこと」を主張したいがために、「自分はなにができるのか」を相手に伝えられない傾向があるということです。

自分がなにかを得るためには、なにかをさしださないといけないのです。

それをこのことわざが教えてくれています。

すすんでなにかをさしだせる人は、エビでタイを釣ることだって十分可能なんです。


○芸は身を助ける

いわゆる定型と呼ばれる人たちは、オールラウンダーといってよく、各能力間のバラつきが少ないんです。

一方、当事者のほとんどが、能力に凹凸があります。

極端に苦手なことがあれば、ものすごく得意なことがあるのです。

よく「ジェネラリスト」と比較して「スペシャリスト」という言葉がありますが、当事者は後者を目指した方がいいと思います。

そのとき、わが身を助けてくれるのが、一心不乱に身につけた、もしくは生来備わっている「スキル(=芸)」なのです。


どんな人にも、一つは、他の能力に比べて秀でているものがあるはずです。

ウィークネスアプローチ(=苦手な部分を伸ばす)ではなく、ストレングスアプローチ(=得意な部分を伸ばす)」をしていくことで、自分の身を助けてくれる「芸」を磨きましょう。


○能あるタカは爪をかくす

当事者の中には、自分が得意なことを無意識でアピールしてしまう人もいると思います。

ですが、この世の常として、ほとんどの人は、他者の「能力アピール」を好みません。

動物的な防衛本能ゆえでしょうか。
能力をアピールしすきると、周りから疎まれ、場合によってはつぶしにかかられることすらあります。

なので、自分が得意なことはことさらにアピールせずに、相手の役に立つ形で、行動で示してあげると自己評価アップにつながりますよ。


○好きこそものの上手なれ

組織で生きているとなかなか難しいですが、なるべく、嫌いなことややりたくないことはしない方がいいですね。

好きなことやりたいことをやれるように、根回しや環境調整をしていった方が、はるかに働きやすくなります。

それは、このことわざが示すまでもなく、みなさん経験でおわかりかと思います。


では、どうすればいいのでしょうか。

日本社会では意外と簡単です。

やりたい仕事に立候補すればいいだけです。

まだまだ自己主張できる人が少ない国なので、いったもん勝ち、はやいもの勝ちで、好きな仕事をさっさと確保しちゃいましょう。

僕はこの作戦を、けっこう多用しています(笑)


○将を射んと欲すればまず馬を射よ

これは、特定の人に対する対人緊張が高まりやすい、僕のような当事者に、めちゃくちゃおすすめのことわざです。

もうね、端的にいうと、苦手な人は避ければいいのです。

僕も、仕事では、苦手な人とは最低限のおつきあいにします。

そして、その苦手な人の周りにいる、話しやすい人、自分と懇意にしてくれる人を攻めます。

どんなにエライ人でも、人間の心理として、自分の身近にいる人と仲良くしている人を攻撃しようとはしません。

なぜなら、そんなことしてしまうと、結果的にその人だけでなく、その人と仲良くしている自分の身内までも敵に回してしまう危険性があるからです。

だから、僕は病院勤務時代、苦手な看護師さんがいたら、あえてその人と仲がいい人と話を合わせておきます。

本人をないがしろにするとすねられるので、本人にもきちんと話はしますが、そうやって根回しをしておくと、話がかなりスムーズに進むのです。


○鶏口となるも牛後となるなかれ

これは、仕事えらび・職場えらびのときに意識しておきたいことわざです。

つまり、大きな集団の中で恵まれないポジション(牛のしっぽ)でいるよりは、小さな集団をひっぱっていくようなポジション(鶏のくちばし)でいた方がいい、というわけです。


僕が、医療従事者として最初に就職した病院が、その分野では全国的に名の知れた病院でした。

規模も大きく、職員も優秀な方が多かったです。

当然その中で僕は冴えないポジションにいたわけです。

自己肯定感も高まらずウツウツとした日々を過ごしていました(得るものも多かったですが)

転職先の病院は、小さな地方病院でしたし、職員も若手が多かったです。

そこでは、僕は、中堅職員として、後輩の指導やマネジメントに携わる機会も得られました。

そして、目標だった役職者にもなることができ、視野が飛躍的に広がりました。

現状に満足できない当事者の方が、突破口を開くためには、このことわざを胸に秘めて動くことも有効ではないでしょうか。


○ハンマーしか持っていなければすべてがクギのようにみえる

これは、当事者はとくに意識をしておかねばならないことわざかもしれません。

専門的になにかを学んできた人は、どんな事柄に対しても、自分の知識の範囲内で考えてしまう、という意味です。

これは当事者なら誰でも実感としておわかりいただけると思いますが、発達障害の診断を受けたり、知識が増えたりすると、なんでもかんでも発達障害と結びつけて考えてしまいますよね。

当事者の場合、柔軟な思考が難しい人が多いので、仕事でも同じことがおこりえるのです。

でも、仕事でいきづまったときに、壁をぶち壊してくれるのって、だいたい専門知識をわきにおいて考えたときにひらめく、別の視点からのアイディアだったりしますよね。

だからこそ、このことわざが大切になってくるのです。

ちなみに、元々は英語のことわざで、日本で生まれたものではないようです。


4.人生を悲観的にとらえないようにするためのことわざ

○千里の道も一歩から

現状に悲観して不安になってくると、考えなくてもいい未来のことまで考えてしまい、目の前のことに手がつかなくなりますよね。

でも、未来を変えるためには、目の前の小さなことに、一つ一つ取り組んでいくしかないんですよね。

ふと不安が胸によぎったときは、このことわざを思い出してください。


「ふみだせばその一歩が道となり…」

僕たち世代にはなじみ深いプロレスラー、アントニオ猪木さんの『道』という詩の一句です。

まさにこのことわざの精神をあらわしています。


○過ぎたるはなお及ばざるが如し

僕も含めて、当事者の多くは、かなり高い目標を自分に課してしまいがちだと思います。

「自分はもっとがんばらないと」と常に感じているからなのかもしれません。

このことわざは、ありあまることは足りないことと同じだよ、と中庸の大切さを説いています。

10代だった僕は、徳川家康の遺訓の中にあったこの言葉にひどく感動して、実家の壁に家康の遺訓を飾っていました。

それなのに30代まで常に、お金も力も必要以上に欲しがって苦しんでいました。

今40代に入り、中庸の大切さを改めて意識するようになり、この言葉をよく意識するようになりました。



いかがでしたか?

最新の研究で明らかになった新事実も大事かもしれませんが、人々が長い時間をかけて受け継いできた至極の言葉であることわざも、同じように大事にしていってもいいのではないかと思っています。

今回紹介したことわざが、少しでもみなさんのお役に立てば、とても嬉しく思います。

イルハン

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