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爆速で不安から抜け出す方法

いつもお読みくださりありがとうございます。
皆さまのイイネが何よりもはげみになります。

今回はタイトル通り、不安感から抜け出す方法について書きます。
僕自身、かつて不安感に押しつぶされて自殺未遂までしたことがあります。
そこから、紆余曲折を経て、今は毎日ただただ人生を愛(め)でながら幸せに暮らしています。
立ち直っていく過程で、周りのうまくいっている人の習慣を取り入れたり、書籍を読み漁ったりして、確実に自分の気分をコントロールする方法を身につけました。

現代のストレス社会において、日々、不安感に押しつぶされそうになっている方は多いと思います。
自分の気分をコントロールできるようになることは、すなわち、自分の人生をコントロールできるようになること。
一人でも多くの方が不安から解放されて自分らしく生きられるようになることを願って書かせていただきます。

今回のお話の流れは以下の通りです。



①不安感の正体

およそ人間の持つ感情というものは、人類の進化の過程においてなんらかの必要性があったはずです。
不安や恐怖も、人類がきびしい環境で生き抜いていく上では必要な感情だったんだと思います。

不安のメカニズムを解明していきましょう。
人間の脳で不安を感知するのは、”扁桃体”と呼ばれる部位です。
扁桃体は、辺縁系と呼ばれる脳の奥深くに位置する原始的な脳領域に含まれます。
余談ですが、脳の表面を取り巻く部分は、”大脳新皮質”と呼ばれ、人類が他の哺乳類と分化してから発達していきました。

大脳新皮質が記憶や言語などの高等な精神活動をつかさどるのに対して、不安や恐怖、快不快などの本能的な感情は扁桃体をはじめとした辺縁系がつかさどっているといわれています。

大昔、人間が飢えや外敵と戦っていた頃は、不安や恐怖といった感情も、身を守る上ではおおいに役立ったことでしょう。

そして、現代を生きる我々にとっても、不安はなくてはならない感情です。
不安がなければ将来に備えもしないでしょうし、危険を回避しようともしないでしょう。


②普通の不安か病的な不安か


不安はだれもがもつ感情ですし、不安をなくすことは不可能です。
では、正常な不安と病的な不安のちがいはなんなのでしょうか?

正常な不安や恐怖というものは、ある程度対象が明確になっているものです。

例えば「明日のテストに合格できるかどうか不安…」「こんどみんなの前でスピーチをするのだけど、うまく話せるだろうか」といったケース。
これらはいずれも対象が明確なので正常な不安といえるでしょう。
それに備えて勉強なり練習なりすればある程度不安を減少させられるかもしれません。

しかし「なんとなく今後の生活が不安…」「理由は分からないけどもう死んだ方がいいかもしれない」といった場合は、病的な不安に移行してしまっているのかもしれません。

また、不安には、動悸・発汗・手のふるえなどの身体症状が伴うこともあるのですが、これが出すぎて自分でコントロールできなくなっている場合も、病的な不安といえるでしょう。

僕は、社会人になってから、発達障害によって仕事や人間関係で失敗を重ねまくって、二次障害でうつ病になってしまいました。
本来は社交的で明るい性格だったのですが、約2年もの間、絶え間なくおしよせる不安の波とたたかいました。

その後、発達障害・双極性障害・強迫性障害の診断を受け、35年間の生きづらさの謎が氷解したと同時に、自分の気分をコントロールするスキルを身につけていきました。


ここからは、僕が、他人の目に怯えて、自分を殺し、鬱屈した感情をかかえながら生きてきた人生を手放し、ありのままの自分で、やりたいことをやって、いつ死んでも後悔はない、というくらいに充実した人生を手に入れた方法をご紹介します。


③不安をコントロールする方法[1] 今この瞬間に集中する


不安を感じるとき、僕たちは、ずいぶんと先のことまで背おいこんでしまっています。
僕がうつ病だったとき「休職が長引けば職場のみんなにきらわれてしまう…」「このままでは職を失い路頭にまよってしまう…」「結婚したばかりの妻に捨てられてしまう…」など、起こるかどうかも分からない未来のことに、常に頭を悩ませていました。
不安感が高じて、遂には生きていることに絶望して、自殺未遂を図ってしまいました。

その頃、父親に手渡された本があります。
僕が、人生の手引き書として、今なお大切にしている、『道は開ける』という本です。
その本に、次のような一節があります。

”これから自分が洗うことになる皿が未来に積み上がってるのを見たら、彼女はどう思ったろうな。まるで納屋みたいに積み上がった、汚れた皿の山だ。そんなものを見たら、どんな女でもうんざりするだろうよ”

D.カーネギー『道は開ける』

お分かりですよね。
不安に苛まれているときというのは、まだ見ぬ未来へのおそれまでをも背負いこんでしまっているわけです。

どんなにメンタルが強い人でも、何日も、何ヶ月も、何年も先のことまで、今日この一日の中で背負いこんでしまったなら、心も体も壊してしまうはずです。

カーネギーは著書の中で繰り返し述べています。
『今日一日の枠の中で生きよ』
『未来の不安を今日という枠の中からしめだせ』
と。


これは以下の手順で、すぐに実践できます。

(1) 今日できることだけを無理のない範囲でする

どんな人にとっても一日は24時間しかありません。
その中でできることは限られています。
今日できることをいくつかピックアップして、それ以外は未来の自分に託しましょう。

不安に駆られている人というのは、今日できること以上のタスクを自分に課してしまいます。

中途半端にあれやこれや手をつけるよりは、確実にできることをやり切る方が心も整います。


(2) 覚えておかないといけないことはスマホや手帳に書き出して、頭の中から追い出す

「明日の商談どうしよう…」「来週の面接遅れずに行けるかな…」などなど先のことが気になって、今するべきことに意識が集中できないことってよくあると思います。

僕は、かたっぱしからスマホアラームやスケジュール管理アプリに打ちこんで、頭の中からきれいさっぱり消し去ります。

人間が頭で覚えておけることなんて限られていますし、ぜーんぶ覚えたまま、今の作業に集中することなんてできません。

人間は本来不確実な未来に対しては不安や恐怖を覚えるものです。

それならば、そんなことを覚えておくのは、スマホや手帳に任せて、自分は”今この瞬間”に意識を集中させましょう。

その具体的な方法は、次でお伝えします。



(3) 今自分が感じていることに意識を集中させる

世間に認知されているメンタルコントロールの技術として、マインドフルネスというものがあります。
僕は、一般企業に勤務する方々の健康マネジメントをサポートさせて頂いた経験があり、そのときにこうした技術を活用していました。

マインドフルネスとは、意識的に現在の瞬間に、そして瞬間瞬間に展開する体験に判断を加えず注意を払うことです。

東京マインドフルネスセンター

僕自身は、そこまで深くマインドフルネスについて勉強をしたわけではありませんので、その技法については、今回は割愛します。

ただ、そのエッセンスは、確実に実践に役立つものなので、ここでご紹介します。

あくまで一つの例ですので、それぞれご自身に合ったやり方を見つけていただけると幸いです。

【洗い物】
・食器を持ち上げたときに手先で食器のかたちを感じ取る
・表面にこびりついた汚れに意識を集中させながらスポンジで洗い落とす
・すすぎながら、指先で程よい摩擦感を感じとって食器がきれいになったことを確認する

【洗たく物たたみ】
・衣服の形状を視覚で確認する
・両手で衣服を持って広げ、衣の張りを感じとる
・瞬時に頭の中で、どうたためばきれいにたためるかを計算する
・イメージ通りにたたんでいく

「こんなしちめんどくさいことを毎回やるのか」とうんざりしないで下さい。

難しいことを考えずに、今している作業に意識を集中させるだけでいいんです。

そしたら、未来の不安はいつの間にか消えています。

僕は、日々の生活の中でマインドフルネスを意識するようになってから、全ての作業に集中できるようになり、不安が減りました。

副次効果としてミスが減り、安全運転ができるようにもなりました(笑)



④不安をコントロールする方法[2] 起こりうるリスクを受け入れる


僕がうつから立ち直る過程で知り、今なお大切にしている言葉があります。

『ニーバーの祈り』として知られる言葉で、アメリカのアルコール依存症や薬物依存症の自助グループにおいて、回復のためのプログラムに取り入れられて広まったものだそうです。

神よ、変えることができることを変えるだけの勇気と、変えることのできないことを受け入れるだけの落ち着きと、そのちがいを常にみきわめる知恵を与えたまえ

ラインホルト・ニーバー『ニーバーの祈り』


結局、不安というものは、未来に起こり得るよからぬ事態に対するおそれに他なりません。

簡単に言ってしまうと、それを受け入れる腹さえくくれば案外不安というものはすぐに消えてなくなります。

当時、仕事を失うことや、周囲の信頼を喪失することを過度に恐れていた僕は、この祈りの言葉に、

『これから先、何か起こってしまったとしてもジタバタせずそれを受け入れろ。そんなことに気をもむヒマがあるんなら、今できることをやれ』

と背中を押された気がして、少しずつ前を向いて歩けるようになったんです。

「リスクを受け入れて不安を消す方法」を実践するには、以下のステップを踏んで下さい。

(1) 不安に思っていることを具体的に書き出す
(2) それによって起こり得るリスクを明確にする
(3) それが起こったと想定して、その後自分が取るべき行動をリストアップする
(4) 最悪の事態が起こったときのことを繰り返しイメージトレーニングする
(5) 「大丈夫、何とかなる」と自分に言い聞かせる

ほとんどの人にとって想定されうる最悪の事態が行き着く先って、結局は「死ぬこと」だと思うんですよね。
でも、死んだ後のことなんて誰も分からないんですよね。

僕は、自分が死ぬことをいつも想像して生きています。
武士道に深く感化されている僕は、いつだって「死んだ身」になって生きています。
死んだときにパンツにウンコがついてたら恥ずかしいから、いつも身じまいはきれいに整えていますし、スマホに遺書は書きしたためています。

よく「死ぬこと以外はかすり傷」なんて言いますが、僕にとっては「死ぬことすらもかすり傷」なんですよね(笑)

そこまで極端にならずとも、家財一式失ったって人は生きていけるんです。
親しい人がみーんな亡くなったって希望をもって生きている人はいます。

職業柄そういった方たちを何人もみてきました。

起こり得る最悪の事態が起こったって、希望を失いさえしなければ人は生きていけます。
だから、リスクを受け入れてください。
そうすれば不安なんて雲散霧消します。

あと、他責思考は捨ててください。

自分の人生で起こり得ることはすべて自分の責任として受けとめてください。

他責思考ではリスクは受け入れられないと思いますので。




⑤不安をコントロールする方法[3] 自分の人生の軸を持つ


不安にさいなまれる人というのは、等しく、自分の人生の軸が不明確です。
逆に、不安など感じずに前向きに生きている人というのは、ほとんど自分の人生の軸が明確です。

「人生の軸」というとあやふやな言葉ですが、いいかえれば「生きる目的」です。
生きる目的が常にブレなければ、不安など感じません。

僕は、思春期の頃から「なぜ人は生きるのか」について考えてきました。
これは、アスペルガー特有の”あたりまえをうたがう精神”のせいだと思います。

うつのどん底にいた頃に読んだ、作家・五木寛之さんと実業家・稲盛和夫さんの対談本の中にあった言葉で、僕の人生の軸は定まりました。

その人生において、自分自身の魂を磨き、美しい心、美しい魂を作り上げていくことが、人生の目的ではないかと思うのです。

稲盛和夫×五木寛之『何のために生きるのか』


僕は単純な人間なので、シンプルにこの言葉を胸に刻みつけながら今日まで生きてきました。

元々、インドの古代思想に傾倒していた時期もあり、肉体が滅んだ後も何らかの形で”存在”は残り続けると信じていた僕は、人生とはながい魂の旅のいち過程に過ぎないと思っていました。

だから、例え死ぬことになろうとも、自分の魂をそれまでにできる限り磨くだけという軸がブレることはないのです。

僕自身もそうですが、何もそこまで高尚な「生きる目的」がなくてもいいんです。

「おいしいものをたらふく食べて生きたい」
「死ぬまでに自分の人生をつづった本を出したい」
「世界中を旅してから死にたい」

何でもいいんです。
生きる目的、人生の軸がしっかりある人は強いんです。
少々のことが起こったって不安に心をむしばまれることなんてないはずです。



⑥不安をコントロールする方法[4] 前提をうたがいつづける

世の中の「あたりまえ」ってよくよく考えてみると、全然あたりまえでもなかったりするんです。


(1)「大人になったら働かないといけない」

これってあたりまえですか?
NO.
世界には、働かずに生きている人なんてゴマンといます。
周りからの施しによって生きている人、神に祈りを捧げることで一定の地位を獲得している人、ありあまる程の資産を持ち遊んで暮らしている人…。
いくらでもいます。
日本は働かない人に厳しいですよね。
僕は、金銭的な報酬なしに自給自足で生きている人や、修行に励むお坊さんのような生き方に憧れを持っていたりもします。
「働く」という世俗的な行為なんてどうでもいいと、今でも本気で思っています。


(2) 結婚をして子どもを産み育てないといけない

僕は家庭を持っていますが、だからといって家庭を持たない生き方に対する否定的な感情は一切ありません。
そりゃ、子どもが減っていくことに危機感は持っています。
ですが、人が生きる上で、家庭を持つことが義務だとは考えていません。
生き方は人の数だけあって然りですし。

これまた、日本には、家庭を持つことを強制するような空気感がまだありますよね。

自分のケツは自分で拭く覚悟があれば、どんな生き方を選択するのも自由です。


(3) みんなと仲良くしないといけない

こんなのNOに決まってます。
僕は、以前からこの「あたりまえ」に苦しんでいました。

「どうすれば周りに合わせられるか」「どうすれば人からきらわれないか」
そんなことばかり考えて生きていました。

今ではシンプルに、つき合いたい人とだけつき合うし、つき合いたい人がいなければ一人で十分、と開き直っています。
皮肉なことに、このスタイルを取り出してからの方が、腹を割っていろんな人とつき合えるようになりました。


なぜ長々と「あたりまえ」に対する反証をのべてきたかというと、不安にさいなまれているときというのは、こうした無数の「あたりまえ」に思考がしばられている状態だからです。


僕は、元来哲学が好きでした。
うつ病を患ってから、ますますのめり込みました。
哲学というのは、そもそもが「あたりまえ」を徹底的にうたがうところからスタートしました。

「存在」「時間」「世界」
全てが哲学のもとでは儚い幻となります。

僕にとっては、この世界すらも、自分の脳みそがつくりだした「くだらない虚像」に過ぎないわけです。
そんな砂上の楼閣のような世界で、いちいち瑣末な不安に頭を悩ませるのもバカげた話です。


話がだいぶこみいってきそうなので、まとめます(笑)


「あたりまえを疑って不安を消す方法」を実践するためのステップは以下の通りです。

(1) 不安に思っていることを明確にする
(2) 何故自分はそのことについて不安なのかを考える
(3) 考えたことに対して「ホントにそうなのか?」と問い、納得できるまで問い続ける



⑦不安感を手放し、豊かな人生を手に入れる人が増えますように


ずいぶん長くなりましたので、そろそろペンを置こうと思います。
ここまで書いてきたことは、あくまで僕個人が実践して効果があったことなので、皆さんにとって有効かどうかはわかりません。

しかし、僕は先人の実践を非常に重んじる人間なので、これらの方法の多くは、書籍やまわりの人からの助言を取り入れたものです。
なので、ある程度の信頼性はあると自負しています。

不安というもののおそろしさは、僕自身肌身に染みてわかっているつもりです。
いろんな才能をもった方々が、不安につぶされて、力を発揮できずに、自分を殺して下を向いて生きていくことは、僕にとってもとても悲しいことです。

少しでもそんな悲しいことが減ることを願っています。


イルハン

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