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ASD/ADHD特性もちでも強く生きるコツ

正直、この手の記事はたくさん書かれていますが、今回は「努力せず発想を変えるだけで強くなる」というテーマで書こうと思います。

実は、世の中の「当たり前」とされていることと逆の発想をもつだけで、人は強くなれるんです。

1.強さとは

まずは「強さ」の定義ですが、辞書には以下のようにあります

物理的に、あるいは心理的に、抵抗力があり、外圧に応じにくいさま。
あるいは、勝負に勝つすぐれた技量。

Weblio辞書

僕がこれから論じる強さも、おおむねこのような意味で、「まわりの環境が変わっても自分らしく生きられるタフさ」とも言い換えられます。

ASD/ADHDなどの発達特性があると、どうしても“弱者“のレッテルを貼られやすく、まわりからの「変わりなさい/変えなさい」という圧が強くなりがちです。
それでも、僕が、現在のように、どんなに環境が変わっても、ヘラヘラ笑いながらマイペースで生きられるのは、ある意味で「本当の強さ」が少しずつ身についてきてるからだと思っています。

そして、それはたゆまぬ鍛錬の成果ではなく、うつ病から復活する過程で、それまで僕が信じてきた常識(=当たり前)を全て捨ててきた結果だと思っています。

では、これから、そんな「当たり前」を一つずつぶっ壊していって、強くなるための鋼のメンタルを手に入れましょう。

2.強い人は「自己肯定感」が高い?

心の健康を手に入れるためには「自己肯定感」を高める必要がある、みたいによくいわれますよね。
僕は、そもそもその前提を疑っています。
結論からいうと、僕は、強く生きるために自己肯定感はそこまで必要ないと思っています。

そもそも自己肯定感とは何なのでしょうか。
文部科学省は自己肯定感(自尊感情)を「自分を価値ある存在として尊重する感情」と定義しています。

強く生きている人は、自分の価値をいちいち考えたり、自分を尊重しようとしたりしていないように感じます。
僕はそれよりも「自己効力感」の方が大切だと考えています。
自己効力感とは、心理学者のバンデューラという人が提唱した概念で「困難な状況でも“自分ならのりこえられる”という自信や期待のこと」らしいです。

周りの人をみていても、自分自身の実感としても、自己肯定感が限りなくゼロに近くても、自己効力感が高ければ強く生きていけている気がします。
事実、僕は自分なんて「犬のうんこ以下の何の価値もない人間」だと思ってますが「うんこ以下の無価値な人間でもやればできる」と信じているため、強く生きていけるのです。

ですので、自己肯定感なんてほっといて、”やればできる感”を養っていく方がいいと思っています。
方法は簡単、日々の生活の中で、どんなに小さくてもいいから「チャレンジ→成功」という流れを積み重ねまくるのです。

いつも食べている食材に新しいヒネリを加えてみましょう。
通勤や外出で新しいルートを開拓してみましょう。

きっとそういう小さなチャレンジの積み重ねが自己効力感を養ってくれるはずです。
そして「こんな俺(私)でもやればできる」と信じられるようになることで、ほんものの強さが手に入るはずです。

3.大人になったら働かないといけない?

「働かざるもの食うべからず」
よく耳にする言葉ですが、この言葉に縛られると本当にしんどいですよね。

いい仕事につけなかったらどうしよう
仕事をクビになったらどうしよう
働けなくなったらどうしよう

こうした思考が、未知の領域への挑戦を阻む弱さの原因になったりします。
ですが、世の中を見渡してみれば、働いてないのに食い扶持にあずかってる人間なんていくらでもいます。

・托鉢など宗教の道に入る
 ※日本と違って海外では仕事という扱いではないことも多いです
・趣味で収入を得る
・施しを受ける
・自然の中で自給自足の暮らしをする
・パートナーが金銭的報酬を得て自分は主婦(主夫)をする
・不労所得で生活する

要するに「働く」というのは、生存の必須条件ではないんです。
仕事がみつからないことの不安、働けなくなることの不安、ありのまま振る舞って職場に居づらくなってしまうことの不安…
多くの人がこうした不安に苛まれることで、本来持っている強さを発揮できなくなっていると思います。
「別に働く必要はない」と腹をくくってしまえば、強く生きていけそうじゃないですか?

僕は、たとえ働き口を失っても、山中で自給自足して生きていける自信があります。
「働かないといけない」という思考から解放されたことで、僕はかなり強くなれている気がしています。

4.メンバーの協調性がないとチームは強くなれない?

ASD/ADHD特性があると、どうしても「協調性」という面ではチームの足を引っぱりがちです。
スポーツなどの明確な目標とルールがある場合は技術でカバーできるかもしれませんが、仕事となると「気遣い」「配慮」「マルチタスク」など、特性がある人には苦手な要素がたくさん入ってくるため、迷惑をかけてしまうことも多くなります。

周囲から協調性を求められ、自分に無理をして二次障害になってしまうこともありますよね。
「この組織に置いてもらうためにがんばって周りに合わせないと」と心をすり減らして、しんどい日々を過ごしている当事者の方もたくさんおられるのではないでしょうか?

僕の考えを述べるとすると、社風や業種によっては、メンバー個人個人に協調性が求められてしまうので、そういった組織では、特性を持っていると強く生きることが難しくなるかもしれません。
欧米と日本を比較しても、そのあたりの事情は変わってくるでしょう。
もちろん、後者の方が協調性は求められると思います。

しかし、僕があえていいたいのは、本当にチームの強さを高めることに貢献するには、協調性より大切なものがあると思っています。

それは「自分にしかできないこと」「責任感」です。

極論をいってしまうと、全員が同等の力をもつチームより、メンバーの力が凸凹でも「適材適所」がうまく機能しているチームの方が強いと思っています。
もちろん、それには、優秀なマネージャーが必要なことはいうまでもありません。

自分にしかできないことで結果を出して、自分の仕事に責任感をもっている人は、チーム内では確固たる立場を維持できます。
そういう人たちが集まるチームは強いですし、メンバーひとりひとりも強いです。
発達特性がある人は、平均的な能力は低くても、ある能力においては他より秀でていることがあります。
そこに責任感をもって取り組めば、必ずや一目おかれるでしょう。

5.社会で生きていくには「理論武装」が必要?

強さについて考えていくと、腕力だけでなく知力も必要なことに気づくかと思います。
知力というと「頭の回転」や「語彙力」「知識」などを連想されるかもしれませんが、実はここに落とし穴があります。

よく「相手に勝つには“理論武装“だ」と息巻いている人がいますが、その人たちは、おそらくディベートや口論で相手を打ち負かすことを目的としているのでしょう。
しかし、普通に考えて、社会生活においてそんなことを繰り返していたら、人は遠ざかっていきますし、「めんどくさいやつ」のレッテルを貼られてしまうでしょう。

本当の知力をもっている人は、相手を打ち負かそうとしたりなんかしません。
目的を達成するためには、むしろおだやかな口調で、心からの思いやりを示して相手の共感を得ます。
これには、頭の回転も語彙力も知識も要りません。

必要なことは「明確な目的を意識すること」「人との無駄な対決を避けること」だけだと思っています。

理論武装なんて必要ではなく、人と話すことを楽しみながら、共にゴールを目指す姿勢が大切なのではないでしょうか。

そして、それができる人こそ、本当に強い人だと思っています。

6.欲しいものを手に入れるには「他人」をコントロールする必要がある?

「強い人」ときいてどんな人を思い浮かべますか?
他人を意のままにコントロール(=支配)できるような人を思い浮かべませんか?
実は、これは弱者の発想だと思っています。

歴史を紐解くと、そのことがよくわかります。
古今東西、歴史に登場する強権的なリーダーたちの生涯をみてみると、大勢の人々を意のままに操っていたかのような印象を受けたりしますが、自分自身をコントロールできていなかったが故に、悲惨な最後を遂げた人も意外と多いのです。
常に自分がおびやかされているように感じ、他人を信じることができない故に、暴力と圧力で他者を支配して、かえって強い反発を招くというわけです。

本当の強者は、他人をコントロールしようとしません。

ほぼ例外なく、自分をコントロールする力を身につけているものこそが、歴史的な偉業を成し遂げています。
彼らは他者におびえません。
誰にもうちこわされない自信を持っています。
人がなんといおうとお構いなし。
自分の力で目的を果たすために、我が道を歩み続けます。
その過程で、挫折や失敗もたくさんあるでしょうし、誘惑がチラつくこともあったでしょう。
そんなものに負けないためには、自分を律する強い心が必要だったはずです。

望むことを得ようとするならば、他人をコントロールすることに腐心せず、自分をコントロールするスキルをひたすら高めましょう。

7.「死ぬこと」について真剣に考える人は弱虫?

「死にたい」と言ったりなんかすると、周りからは「弱い人間」のレッテルを貼られてしまいます。

果たして本当にそうでしょうか?

僕は、死ぬことと徹底的に向き合い、それに飲み込まれそうになりながらも、死の恐怖を乗り越えた人間でしか真の強さは手に入れられないと考えています。
江戸時代からずっと日本人に読み継がれてきた『葉隠』という書物の中に「武士道とは死ぬこととみつけたり」という有名な一節があります。
これは、常日頃から死の覚悟を持っておけば判断を誤ることはない、というような意味だと思ってます。
つまり、死ぬことさえ覚悟しておれば、強いメンタルを保持できる訳です。
一度も「死にたい」と思ったことがなく、リアルに死を感じたことがない人間ほど、いざというときに腰抜けになってしまう可能性があるのです。

僕は、うつ病になって、生きる意味や死後の世界について、哲学、宗教、進化生物学、理論物理学など、古今東西の文献を読み漁り、徹底的に考え抜きました。
その思索の過程は割愛しますが、いま僕は、本当の意味で「自分の死」を受け入れています。
人間存在の本質は肉体にではなく「魂」にあると考えています。
この人生は、魂を綺麗に磨き上げるための旅路に過ぎず、死んだ後も僕の魂は先立った人々と同じ場所にいくだけだと思っています。

こうした考えに至ることで、僕はこの世の瑣末なことにとらわれず、自分の信念だけを大切にして、強く生きられるようになったんです。

8.強くなるために最も必要なもの、それは「覚悟」

長くなったので、そろそろまとめに入ります。
いろいろと書きましたが、自分らしく強く生きる上で、僕が最も大切だと思っているものをご紹介します。

内なる強さを生み出すもの。
それは「覚悟」だと思います。

「自分の人生で起こるすべてを受け止める覚悟」といえます。

親の育て方がまちがっていたから自分はこうなった
配偶者が酷い人間だから私はこうなった
上司のパワハラのせいで俺はこうなった

そういいたくなる気持ちも分かりますし、実際そういうことの影響もあるかもしれません。
でも、どこかで、そういったこともすべて含めて、受け止めないと強くは生きられません。

少なくとも、これから起こることは、すべて自分で受け止める覚悟を持ちましょう。
その上で、今回のnoteに書いた、世間の当たり前を手放しましょう。
そうすれば、いずれは、本当の強さを手に入れられるはずです。

僕も道半ばです。

今回のnoteがなにかのお役に立てれば幸いです。


イルハン

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