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自閉スペクトラム症の僕が気をつけていること

自閉スペクトラム症(以下ASD)当事者の僕が、生きていく上で気をつけていることを書いてみました。

の4部構成です。
それではどうぞ。

1️⃣基本編

(1) 自分を知る

若い人と話していると、自分自身についての質問で答えに窮する様子がみられるときがある。
経験不足による自己理解の乏しさもあるだろうし、そもそも自分に関心がないケースも増えてきてるように思う。

しかし、人として生きていく上で、

・自分は何者なのか
・どんなことに喜び、どんなことを嫌悪するのか
・何を求めているのか

ということは、常々考えておいた方がいい。

なぜなら、人生とは、決断を求められる場面の連続であり、「自分を知る」ということは、決断を下していく上での判断基準となるからだ。

ASD特性があると、考え方のクセが強くなってしまい、世間に溢れるハウツーが使えない場面が多々出てくるので、より一層『自分を知る』ことが大切になってくる。

勉強や読書は、ASDの人が他者の心を理解するには有効かも知れない。
だけど、こと自己理解に関しては、机上で勉強するだけでは深められない。
とにかくたくさんの経験を積むことが大切だ。
そこで、自分が何をどう感じたかに意識を向ける。
それの積み重ねで自分がみえてくる。
もちろん、授業や本で得た知識で答え合わせをするのもアリだ。

あとは、日記を書くことも有効だ。

僕は、病的なほどに記録をつけるのが好きで、日記、SNSへの投稿、映画の感想メモ、トレーニング記録など、あらゆるものを物理的な記録として残している。
それらの記録を見返すことで、自己理解が深まっている気はしている。

このようにして自分を客観的に振り返る作業を繰り返す中で、自分への理解を深めていくことが大切である。
幸せな人生を送っている人の多くが、自分というものをよくわかっている。

(2) 個性を際立たせる

日本社会には「同調圧力」なるものが存在する。
これは、日本という国の風土や歴史に根ざした、独特の心理的圧力だと思う。
海外に目を転じれば、これが、必ずしも人類普遍のものではないことがわかる。

幸い、僕は学童期から思春期にかけての多感な時期を海外で過ごすチャンスに恵まれた。

日本では、自分のことを「はみだし者」のように感じて、後ろめたい気持ちを抱いていたが、僕が当時通ってたインターンナショナルスクールでは、僕のユニークなところは「Wonderful!」「Great!」と受け入れてもらえることが多かった。
どうやら、欧米圏の教育においては、個人的感情を抑えて周りと協調することよりも、「自分と人はちがっていて当たり前」という前提の上で他者と折り合いをつけるスキルを磨くことに重きが置かれていたようだ。

必然的に、人と同じであることよりも、自分なりの意見を持っていて個性が際立っている方が、重宝されるような社会であったのだ。
「これはあの子に聞いてみよう」みたいに、それぞれの子供が得意分野をもっている感じだ。
少なくとも、僕はそう感じた。

僕は、同調圧力が支配する社会よりも、一人一人が持ち味を発揮できる社会の方が、全体として健全だし、個々を考えても「生きづらさ」の総量は減ると考えている。

ASD特性があると、他者と歩調を合わせることはなかなか難しいが、際立った個性が重宝される社会であれば、逆にその特性は強みになると考えている。
なので、僕は積極的に、「自分と人との違い」に注目して、それを社会に受け入れてもらいやすい形にカスタマイズすることに注力している。

ここで、日本社会の現状に立ち戻る。
これは実に不思議なことだが、日本でも社会に出た途端に『自分の意見』なるものを求められるようになる。
それまで、人前で意見をいうトレーニングを積んでこなかった人たちは、まずそこでつまづきメンタルをやられることが多い。
学校生活で求められることと社会で求められることに乖離があるのだ。

つまり、ASD特性により、周囲に“合わせる“ことが難しければ、逆に、個性を磨いてオンリーワンの希少性を高め、自分の意見をしっかり伝えるスキルを磨く方が、社会に出てから生きやすくなるのではないかと考えている。

(3) 自分に嘘をつかない

子どもの頃に、素直な感想を言ったら、親にめちゃくちゃ怒られた経験はないだろうか?

ASD特性があると、何気なくいった一言が、他者を激しく怒らせてしまったこともたくさんあるだろう。
そういうことが積み重なると、自分の感情に嘘をついてでも周囲に合わせようとするようになり、自分の気持ちが分からなくなったり、自分の気持ちと裏腹の行動をとってしまったりしがちになる。

ASDはストレス脆弱性があるので、これを続けていると、早い段階で燃え尽きてしまうだろう。
自分に素直に行動することは軋轢を生むかもしれない。
でも、そこで、ただ自分の感情を抑え込むのではなく、周囲との衝突を回避しつつ自分に素直に行動するにはどうしたらいいかを考えるようにした方が、絶対後々楽に生きられるようになると思う。

2️⃣人間関係編

(1) 2:8の法則、自分の話は短めに

ASD特性があると、相手の存在を忘れて、自分の「喋りたい気持ち」が暴走してしまうことがある。

僕は、未だにこれをやってしまうときがある。
後輩に仕事のことを聞かれたとき、大好きなキャンプについて聞かれたとき…
でも、そういうことをやって「めんどくさい人」認定を受けてしまうと、最悪の場合もう話しかけてもらえなくなってしまう。

これを防ぐには「自分が話すのは2割くらいにしてあとは相手の話を聞く」と具体的な割合を意識しておくことが、僕の場合は有効だった。
「あ、喋りすぎてるな」と気づいたときは、自分が喋る割合を2割に戻す意識で、発話量を修正するといいかもしれない。
人間は、聞くよりも聞いてほしい生き物だと思っているので、この意識は重要だと思う。

それでも、僕は、いつも5割くらい喋ってしまう。

(2) ハードルはなるべく低く

僕は、努力を人にみられることを死ぬほど嫌う。
なぜかというと、目標に向けてがんばってることがバレると周囲の期待値が上がってしまうからだ。
同じく、やや高めの目標を周囲に宣言することも避けている。

「安請け合いしない」というのも大事だ。
かといって無下に人からの頼みを断るのもよくないので、「やれるだけやってみます」とか「善処します」とかいうワードで、具体的な目標の明言を避けた方がいい。

全ては、自分がこえなければいけないハードルを下げるため。
なので、ハードルが高い方が燃える、という人は、この項をすっ飛ばしてもらって構わない。

ハードルを下げておくことには、以下のメリットがある。

⚫︎ASD特性があると、二次的に失敗への恐怖心が強くなってしまっている人が多いので、あらかじめハードルを下げておくことで、失敗のダメージを軽減できる。
⚫︎ASDの人は元来手先が不器用な上に、緊張からガチガチになってしまう人が多い。ハードルが低いと思うことで、肩の力が抜けて、本来の力が発揮できる。

(3) いいことは控えめに、わるいことは大袈裟に

論拠は不明だが、一部ではASD特性がある人は「失敗を隠したがる」「責任転嫁や言い訳をしまくる」といわれているようだ。
特性上それが強く出てしまってるのだとは思うが、これは別にASDに限ったことでもないように思う。

そう、人間は自分がいいことをするとそれを声高に主張して、わるいことは小さく見積もってこっそり言いたがる生き物なのだ。
でも、実生活でこれをあからさまにやってしまうと、「すぐ保身に走る人」などという不名誉な評価を受けてしまう。

僕も、かつては自分の失敗を小さく見積もって報告する癖があった。
でも、それをすると後々やっかいなことになることが多く、逆に、やらかしたときは与えた損害を大袈裟に報告して、ややオーバーなくらい謝罪と償う姿勢をみせた方が、後々メリットが多いことがわかってきたのだ。

なので、今では「自分がしたいいことは控えめに、わるいことは大袈裟さに伝える」を心がけている。
おかげで「正直な人」という印象はもってもらえているようだ。

(4) 追っかけるより追われる身になる

人によって変わるだろうが、僕の体感では、多くの人は「ガンガンこられたら引いてしまう」と思っている。
それよりも、『あるときふと自分から離れていってしまいそうな人』をなんとかつなぎとめておこうという心理の方が強く働くように感じる。

もちろん、魅力がない人にはそんな感情は抱かないと思うので、自分の「魅力」や「価値」は常に高めておく必要はある。
その上で、あまり過度に他人に近づこうとしない姿勢が大事かな、と思っている。

ASD特性があると、特定の人にガンガンいっちゃいがちになるが、僕は基本的に「自分は一人でも全然OK」「合わない人にしがみつくくらいならスナフキンにでもなってやるぜ」というスタンスを貫いている。

これは悪魔的理論だが、人間関係において、相手に『絶対的安心感』を抱かせてしまう人は、いいように使われがちだ。
これは家族関係でも一緒だと思っている。
少し、その関係に「不安定感」を残しておく方が、相手に飽きられない。

余談だが、男が不倫するのは「何があっても妻は俺から離れられない」という謎の驕りが発動するからだと思っている。
寝言は寝ていえ、といいたくなるのだが。

(5) 良薬口に苦し、耳に痛い意見ほどしっかり聴く

ASD特性があると、マイワールドに閉じこもりがちになる。
そして、ストレス脆弱性もあるので、耳障りのいい言葉ばかり求めてしまう。

もちろん、しんどいときはそうしていい。
何事においても、自分の心身の健康を守ることが最優先事項だから。

でも、そんな意見ばかり聞いてると、必ず、こじらせ人間になってしまう。
この世には、自分にとって都合のいいことばかり存在するわけではない。
むしろ、都合のわるいことの方が多いかもしれない。

そんな世界でたくましく生きていくには、都合のわるい事実にもしっかり目を向けて、自分をカスタマイズしつづけることが大切だ。
人間は自分に甘い生き物なので、これは一人ではむずかしい。
だからこそ、自分にとって耳に痛い言葉をいってきてくれる人ほど、意識的に大事にしないといけない。

最初は辛いが、その内、「本当にこちらのことを考えて意見してくれる人」と「オナニーマン(自己満足人間)」の見分けがつくようになると思う。

(6) 人たらしになる

世間には「自己犠牲」や「献身」を美化する風潮があふれているが、注意が必要だ。
助け合いの精神は、たしかに大事だが、自分を殺して相手を助けることは美談でもなんでもない。

自分の利益のために他人をだましたり貶めたりすることはよくないが、「人と人は対等」という前提の下、ときには「自分以外の人をうまく動かす」というマインドも大切だ。

その人の心の動きを分析して、こちらの意図に沿うような動きを引き出すことが必要な場面も出てくるのだ。

この辺り、詳しく知りたい方は、過去のnote(ヤクザの喧嘩術)をご参照ください。
↓↓

https://note.com/adhdot/n/nba5637e536b0

(7) 世の中の残酷な事実を受け入れる

ASD特性があると、倫理観と正義感が、日本の借金くらいふくれあがってしまってる人が多いと思う。

⚫︎見た目で差別したらいけない
⚫︎弱い人にも配慮がある社会じゃないとダメだ
⚫︎お金持ちと貧乏な人で、対応に差をつけてはいけない
⚫︎あの人は実家が太くて恵まれててズルい

こんなことを声高に叫んだところで、世界は不平等に満ち溢れている。
もって生まれたものが、そもそも人によって大きく異なる。
それに、人間も本来は動物なので、各個体は利己的にふるまうし、文明社会に生きているとはいえ弱肉強食の世界であることに変わりはない。

ここで何がいいたいかというと、理想論を語って希望ばかり抱いてないで現実を受け入れた方がいいよ、ということ。

この世界では、金をもってる人間が自由を手にするし、見た目がいい人間が異性に好かれる。
他にも、先天的に才能を与えられてる人間の方がチャンスをつかみやすかったりする。

冒頭の話に戻す。
僕は、ASD特性があると、そういう世の中の厳然たる事実に対して挑戦してしまいやすくなると考えている。
でも、いくらそれに抗ったところで何も生み出せないとも思っている。

ならば、そういう世の中の残酷な事実を受け入れた上で、配られたカードでどこまで戦えるかを考えて、最善を尽くせばいいのだ。

余談ではあるが、世間に厳然と存在する不平等を受け入れることも必要だが、それを受け入れた上で「公平性」を追求することは大事だと思っている。
公平と平等は似て非なる概念なのだが、公平は努力によって追求することはできるからだ。
ルサンチマン思考に陥らない為にも、公平を求める心は捨てないでおきたい。

(8) 感謝の気持ちを常に忘れない

実は、これこそがASD特性を持ちながら、周囲と折り合いをつけて生きていく上で、最も大切なことではないかと考えている。
特性上、俯瞰的に状況をみたり、相手の立場になって考えることが苦手な人が多いと思う。
だから、物事を被害的に受け取りやすくなってしまうのだと思う。

しかも、人間というのは普段どれほど周りの人のお世話になっているのかを、あまり考えようとしない。
人間を利己的な行動に走らせる脳の部位が、長い進化の歴史の中で強力につくり挙げられてきたのに対して、他人に礼儀を尽くしたり感謝したりする社会的な行動を司る脳の部位が発達してきた歴史は浅いからだ。

こういった背景に加えて、上記のようなASD特性があることで、周りへの感謝が薄れてしまいがちになる。

しかし、感謝も練習を重ねることで習慣化できる。
まずは「ありがとう」と身近な人に言ってみることからはじめてみたらいいと思う。
感謝が習慣化すれば、必ずや、いい人間関係の構築に役立つはずだ。

3️⃣仕事編

(1) 自分の市場価値を高める

障害を持ちながら仕事を探している人の多くが思い違いをしている。
「どんな職場なら自分を受け入れてくれるか」で考えてはいけない。
仕事とは自分が価値を提供することで、それに対する対価をもらうものだからである。
つまり「どんな職場なら自分は価値を提供できるか」で考えないといけない。

よく「待遇が悪い」「自分のことをわかってくれない」と、せっかく就職した職場を辞めてしまう人がいるが、それではどこへいっても受け入れてもらえない。

もちろん、待遇や障害に対する配慮を求めることは悪いことではない。
だが、それは『自分が価値を提供できる人間』であることが前提だ。

よって、自分が続けられそうな職場を渡り歩いていては、年齢が高くなると、高い確率でいきづまる。
そうではなく、その道のスキルを磨き込む、仕事に活かせる知識を蓄えるなどして、自分の市場価値を高め続けることが大事だ。

(2) 魂だけは誰にも売らない

仕事というのは続いてナンボなのだ。
人間が生きていくには、継続的にお金がかかる。
多少納得できないことがあっても、簡単に仕事を辞めてはいけない。

ASD特性がある人の多くが、頭で納得できないことを受け入れられない傾向があるようだ。

⚫︎同僚がちょっとした不正を働いていた
⚫︎上司から理不尽な要求をされた
⚫︎顧客や取引先に嘘をつく必要性に迫られた

これらはほんの一例だが、仕事をしていると、自分の倫理観に反する場面を目撃したり、そういった行為を強制されたりすることもあるだろう。

もちろん不正はよくない。
ただ、判断に迷う場合も出てくると思う。
そんなときは思い返して欲しい。

『これは、自分の魂(人間存在の根源的な部分)の導きに反するものだろうか』

と。
そうでないなら受け入れればいいし、もしそうであるならば、そのときはじめてそこを離れる選択をしたらいい。

「千と千尋の神隠し」という映画で、湯婆婆が主人公の名前を奪うシーンが出てくると思う。
決して名前を奪われてはいけない、と言いたい。

ASDに限らず、発達特性があると、みんなに迷惑をかけているという負い目から、必要以上に命令や指示に服従してしまうこともあるかと思う。
でも、自分の魂、名前まで、その仕事に捧げないようにしたいものだ。

(3) 下ごしらえで8割決まる

ASD特性が苦手とするもの、それは「臨機応変な対応」だ。
実際の仕事では、事前の想定通りにいかないことが多々あると思う。
それでも、本番までにどれだけの準備を重ねてきたかが勝負を分けることは、よくある。
というか、事前に情報収集をして、その仕事の全体像を把握した上で、必要なものを全て揃えておけば、多少想定と違ってもうまくいくものだ。

ASDのあるなしに関係なく、「仕事ができない人」というのは、事前準備ができていないことが多い。
中には、場当たり的にパパッと仕事をこなせる人もいるだろうが、そうなると運の要素が大きくなるので、仕事の出来にバラつきが出てしまう。
逆に言えば、ASD特性があっても、準備を入念にすれば、安定して成果が出せるのだ。

そして、一発どでかい仕事をやってのける人よりも、安定的に成果を出せる人が、実際の社会では重宝される。

(4) 失敗とのつき合い方を学ぶ

ASDをはじめとした発達特性があると、仕事上の失敗は避けられないと思う。
それが続いてしまうことで、二次的にうつ病になったり、異常なくらい責任転嫁や言い訳を繰り返してしまうようになる。

『失敗=よくないこと』というマインドセットがあるから、そのようになってしまうのだと思う。
実は、ここに大きな思い違いがあって、人は「失敗」で評価されているのではなくて、「失敗への対応」で評価されているのだ。

現に、仕事ができる人も意外とミスはする。
ただ、できる人とできない人は、失敗をどうカバーするかが大きく異なる。

前者は、失敗を受け入れて迅速に対応する。
そしてそこから大きな学びを得たり、次のチャンスに繋げたりする。
一方、後者は失敗を隠そうとする。
そこから学ぼうともせず、いかに責任を回避するかに終始する。
これでは周囲からの評価も落ちてしまう。

人間というのは、本能的に後者の対応をとりやすいが、失敗やミスに誠実に対応することを繰り返す中で、失敗をチャンスに変える習慣を身につけないといけない。

4️⃣プライベート編

(1) 自己研鑽を楽しむ

ASD特性があると、興味の幅は狭くなりがちだが、その分興味のある対象に対しては強い執着をみせる。
意味のない行為(※ハタからみて意味がなくても本人にとっては意味があることも多い)に執着してしまうと時間や労力のロスにつながってしまうが、その執着を自分の成長につながることに向けられると、より有益かもしれない。

僕は、マラソンのタイム・筋トレの負荷量・資格試験の点数など、目にみえて成長が感じられることに強い執着を示す。
そして、それらで成果を上げていくことに、楽しさを見出している。

それが今の仕事を続ける上で大きな支えになっていうことはいうまでもないし、苦しむことなく楽しんで自己研鑽に取り組めているのも大きい。

自己研鑽が趣味も兼ねているので、まさに、一石二鳥だ。

(2) 趣味や一人の時間を大切に

特性によって対人緊張が高くなりがちな人は多いと思う。
慣れない人間関係だけでなく、時には、家族や親しい友人との関係ですらも疲れてしまうことがあると思う。

他者の目というのが、とにかくストレスに感じてしまいやすい。

そういった理由から、何もかも忘れて没頭できる趣味や一人きりになれる時間というのが必要不可欠になると思う。

僕の場合、家を買うときに「自分の部屋がある」というのは必須条件だった。
家族も含めたあらゆる人間関係のストレスが限界値を超えたときは、妻に承諾をもらって自室にひきこもる。
そうして、三線(沖縄の弦楽器)をかき鳴らしたり、ヘッドホンをつけて映画を観たりする。

また、ときどき、自宅近くの山に走りにいって、森林の中で一人の時間を楽しむ。
こうやって他者の目を意識せず自分と向き合う時間を通して、心の澱(おり)を流すのである。

他者と向き合うときは、心が健康な方がいいので、こういう時間は大切にしていきたい。

(3) 本当に必要なもの以外を手放す

人は本能に従って生きると、あれやこれやと色んなものを所有したくなる。
誰だって家の中を見渡せば「これ本当に必要かな」と考えてしまいたくなるものが、いくつか見つかると思う。

ASD特性のあるなしに関係ないかもしれないが、必要ないものまで所有していると、「自分の意識」という限りあるリソースが、それのために割かれてしまう。
意識がそれに割かれると、必然的に心の余裕は小さくなる。

ただでさえキャパオーバーしやすいのに、更にキャパを狭めてしまうことにつながるのだ。
ならば、必要ないものは思い切って全部捨ててしまうといい。
そうすれば色んなことを考える余裕が生まれる。
この余裕が、ASD特性がある人にとっては、不安感や焦りの解消につながると考えている。

試しに、少しでいいので「ミニマリズム」の概念に触れてみてほしい。
それを取り入れることによって、確実に、生きやすくはなるはずだ。

(4) 苦痛やしんどさへの耐性をつけておく

ASDなどの発達特性があると、ストレス耐性が低くなるといわれている。
僕が思うに、決してストレス耐性が低いわけではない。
ただ、色んなことをストレスに感じやすいだけなんだと思う。

つまり、人よりもコップの容積が小さいわけではなく、特性なしの人のコップがいつも空っぽなのに対して、常に水が入った状態になっているだけなんだと思う。

コップの容積を増やす(ストレスの許容量を増やす)というのは、あまり現実的な対策とはいえないと思っている。
それには多大な労力がかかるだろうし、人によっては不可能かもしれない。

それならば、水がたまりにくくするか、たまったらすぐ捨てる習慣を身につけるしかないと思う。
前者は、人のいうことを気にしない、些細なことを気に病まないようにすることで、これには「認知行動療法」や「リフレーミング」が有効かもしれない。
これらについての解説はGoogle先生に委ねたい。

たまった水を捨てる、というのは、自分に合ったストレス解消法をみつけるということだ。
多くの人にとっては、スポーツなどで体を動かす、大声で歌う、旅に出かけるなどが有効なようだが、そういったものに限らず、自分がストレスを発散できる方法さえ知っていればいい。



長くなりましたが、お読み頂きありがとうございました。
これらは、あくまで僕が気をつけていることなので、万人に有効だとは思っていません。
何か、少しでも読んで下さった方々の参考になっていれば嬉しいです。

イルハン


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