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周りからは気付かれにくいADHDの女性たちを救いたい。

はじめまして。ゆっちと申します。
私は二児の母をしながら、一級建築士として働いています。

私がADHDの傾向に気づいたのは、子供が生まれてからでした。
子供が生まれる前は、「おっちょこちょい」「家事が苦手」で済まされていたことが、「母親」になったとたん「深刻な問題」として私たち家族を襲ってきたのです。

  • 時間通りに行動することができない。

  • 物忘れや探し物がさらに増える。

  • 永遠に終わらない家事やタスク。

  • 失敗の連続で、自分が大嫌いに。

  • 夫や子供との関係も悪化。

  • イライラして、怒りを抑えられない。などが私の主な症状でした。


女性の発達障害は男性に比べると目立ちにくく、診断を受けないまま大人になる人も多いそうです。何も悩むことなく生活している人もたくさんいます。

しかし、私のように出産・子育てがきっかけで、自分の発達障害に悩まされるようになる例は多いということを知りました。

ここで、私の体験談をお伝えします。

生後数か月の子を抱っこして外出した際、傘をどこかに忘れてしまい、傘を探している間に、今度は定期券と鍵をどこかに置き忘れ、家に帰ることができなくなってしまったのです。

お腹がすいたと泣く赤ちゃんを抱っこしながら、私は一体どうしちゃったんだろう?と涙が流れました。

今までも定期や財布を落とすことは多々あったのですが、赤ちゃんを連れて路頭に迷う自分が、不思議で、恥ずかしくもありました。

思わず精神科・心療内科の門を叩き、そこで様々な発達障害のテストを受け、「ADHD」の性質があることが分かりました。

原因が分かってホッとする一方で、医師に聞いても、「じゃあどうしたらいいの?」その解決策はありませんでした。

服薬をする選択ができなかったのは、「ADHDグレー」という診断であったからです。


ところで、なぜ私がグレーの診断であったのか?

それは、自分の今の状態=ADHDの特性を、社会で生きていく上での「障害」に感じているか?という医師の質問に対し、「NO」と回答したからでした。

私は旧帝大で建築を学び、大企業に就職して一級建築士の資格を持って働いていました。

今思い返すと、発達障害による会社での苦労はありましたが、自分の提案力・企画力はそれなりに評価されていましたし、旦那もいて、子供もいる。いつかは二人目も欲しいと思っているところでした。

ADHDによるトラブルは確かに多いけれど、「魅力」や「強味」とも感じている自分がいました。

33歳で新たに知った自分のADHD特性。
家族の為に、自分を変えなくてはならない。
ではどう対策していけばいいんだろう。。。?

「10分前行動を心がける」
「毎日片づけをする」
「アラームをかける」
「忘れ物をしないように紙に書く」

そんな小手先の方法では、私の頑固な脳はビクともしませんでした。


そこで私は発達障害について基礎から学び、持ち前の分析スキルを活かして、

「どうして忘れ物が起こるのか?」
「どうして過集中になってしまうのか?」
「なぜ遅刻癖がついてしまうのか?」
「買い物やスマホに依存してしまうのか?」
「ギリギリまで行動できないのはなぜなのか?」

その根本にある脳の性格を紐解いていくことで、わたしの「取扱説明書」を作ることにしました。
そしてその説明書をもとに、家族の理解を得ることができるようになりました。
そしてなにより、自分が生きづらいと思っていた色々なトラブルには一つ一つ原因があるということを学びました。
「ADHDグレーな私が、ママとして家族を幸せにする」
「そして今までもこれからも、こんな私が大好き」
そう思えるようになったことで、見える世界が180度変わってきて、
私の人生は全く異なるものになったのです。

私は、今苦しんでいるADHDママたちが、
★自分のことを理解し、自分のことを好きになること。
★家族とよりよい関係を築いていけるようになること。
★忙しくて大変な毎日の中で、少しでも幸せな時間を生み出せるようになること。
そんな人生を生きていけることを願っています。
そして、いつでも辛さを吐き出せる場所をつくっていきたいと思っています。

ゆっちのインスタグラムはこちら
ADHDママさんの気持ちが前向きになれる情報を発信しています。


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