自己紹介代わりの病歴メモ・1 大学在学時
はじめに
こんばんは。初めてnoteを書きます。「ADHDを抱えてフリーランスで働く一児の母」と申します。長いですね。どうしましょう。考えます。
まず、個人特定を避けるため、具体的な数字や地名、年代などにはフェイクを含めている場合があります。予めご了承ください。
私は今年、ADHD(双極性障害併発疑い)の治療・服薬をしながら出産をしました。出産に至るまで、またADHDの治療に至るまでに得た知見などを残しておきたいと思いこのnoteを開設しました。どうぞよろしくお願いいたいします。
遺伝要因
近い親類に双極性障害と思われる症状で精神科の治療を長年受けている人間がいます。根本的な寛解には至っていないようです。
初のメンタルクリニック通院
大学二年生の時だったと思います。一年生の時はフル単位取れていたのですが、二年生は結果的にその2割程の単位しか取れませんでした。人間関係や恋愛のトラブルから無気力・希死念慮が強くなったため、大学の近くにあったメンタルクリニックを受診しました。受診しようと思った一番のきっかけは、大学帰りの駅のホームで今飛び込もうかなと思った時でした。これはいよいよまずいと思い、引き返し入った改札を出て最寄りの心療内科を受診しました。
今考えると初診予約が当日に取れたんでしょうか。もう随分前のことなので記憶に齟齬があるかもしれません。
当時はお薬手帳システムがまだなかったので定かではありませんが、最初に処方された薬は確かアモキサンでした。
初診では30分近く話を聞いてくれ、寄り添ってくれていると感じていていました。しかし次第に薬の効果を感じられなくなり、診察でそのように伝えても処方内容が大きく変わらない、診察は3分。ということが続き、クリニックに対する不信感が強まってきました。何が決定打だったか忘れてしまいましたが、そこへ通院するのを辞めてしまいました。
続きます
ADHDの特徴なのかどうかわかりませんが、私は「タスクをオープンするのは得意だがクローズするのが苦手」という性質があります。クローズが苦手なので、クローズするコストが大きくなりすぎないよう、一つ一つのタスクをなるべく細かく区切るよう心がけています。
というわけで一つの記事をこれくらいのボリュームで終わろうと思います。
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