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深海よりご一報

頭の中がざわざわしていて、わたしの負の感情についても書いておくことも十分当事者性を反映させると思ったので、記述してみようと思う。エッセイということで。


よく自己評価が低いということは、自分への期待値が高いということなので、実は自己評価が高い人なのだと聞いたことがあるが、果たしてそうだろうか?

自己評価の低さは後天的に植え付けられた「人としてこうあるべき」を全うできないもどかしさ、自己像と求められていると知覚する人間像とのギャップにあると思う。わたしならできる!というポジティブで積極的な理想像が根底にあるのではなく、これを最低限クリアしなければ自分はどうしようもない人間だと思えてしまうというネガティブで消極的な理想像だ。


コッピーちゃんのnoteには、書きかけの下書きが大量にある。

アイディアがあるが、形にするまでがしんどい。というところにある。

研究もそうだ。今の悩みの種はそこにある。

「しんどい」というのは、もうやりたくない、こんな途方もないプロセスをあと何度繰り返すのだろう、と自分の中での新規性が低くなってしまい、精神的負荷が高くなることで生じている。

まず、「これは書くべきだ」と思った内容として書き進めていても飽きてしまう。多分このテーマも、来週になったらもういいやと思ってしまうので、今日書き始めて今日書き終わらないといけないのだ。

興味の対象がコロコロ変化していってしまい、自分が満足して公開できるレベルで形にすることができない。

たとえば、これがお金をもらえるとなったとしても、あまり心が動かされない。

また自分の文章を読み直すということも、緻密なプロセスを膨大な時間をかけて分析していくことも。そうした中で、完成物をもう一度作り直す、とう作業にうんざりしてしまっているのだ。

多分、うんざり感を払拭するために、こうやって発信をしている。疑似的な達成感と言われてしまえばそうなのかもしれないが、いわば未完成の情報を垂れ流しにするという作業は私にはぴったりなのである。


上手くいかないときに押し寄せてくる、怒涛の劣等感。そしてサボっていた、怠惰な自分を許していたことへの後悔。じんわりとした倦怠感と焦燥感。自分の特性を輝かせる方法は、ここにあると信じてやってきたが、門前払いされたような悲しい気持ち。気付いたら息を止めてしまっていて、苦しくなって思い出したようにふぅと吐く。これが呼吸が浅いということなんだろうか。


「上手くいかない」とは、正式な機関や基準に従って認められる形で結果が出ないというレベルの話なので、自分の心持ちではどうにもならないじゃないかと思ってしまうのだ。

人の評価なんて環境や状況によってどうとでも転ぶということは、生きていく中で人は気付いていくわけだけど、となると、そんなものに左右される必要は全くないのだが、わたしは焦っている。自分は変なやつだから、正規ルートでの達成はないと分かっていても、分かっていても「本当にこの状態で何年もやっていくの?」という心の声が聞こえてくる。


私は今、直接的に特性に困っている訳ではないので、「ADHDによって苦しめられている」という意識が非常に低い。

そして「私には向いていなかった」と結論を下して潔く諦めるのは早計と思っているので、ソルーションは、既存のやり方を自分の中に落とし込み、応用できるようになるまで一定量をこなすということにあると思う。四の五の言わずに取り掛かれという段階なのだが、それが非常に面倒くさいのだ。


漠然とした「もう無理だ」という気持ちは、能力的な限界というよりも、モチベーションの問題と密接に関わっている。しかし、それすらも能力の一部として捉えることもあると思うので、言うなれば「自分を奮い立たたせる能力」である。


落ち込みが深いということに対して、立ち直るということについては比較的得意であるような気もする。

忘れっぽいということが功を奏して、「死にたい」と思っていても「ま、いっか」という感情に移行しやすい気がする(その切実な感情の忘れっぽさが蓄積して二次障害になりやすくなっているという可能性もあるが)。


高校を退学して、新しい高校に馴染める気がしなくてサボったあの時も、英単語のミスが多ければクラスを落とされると予告されてわんわん泣いたあの時も、臨床心理士の方に「あなたが心理士を目指すのは辞めなさい」と言われて絶望したときも、大学院に入って周りの議論についていけなかったときも

振り返れば、自分自身の不甲斐なさとミスマッチ感に傷付きながら「よし、これからだ」と面白く思っている自分もどこかにいる。多分その瞬間は、一通り落ち込んで、客観的に自分の置かれた状況を見れるようになってから訪れるから、何とかなるよねという過去の自分が培ってきた自分への信頼感もあるのだ。

過去に生じた「こんなの無理だよ、もう終わりだ」の瞬間は愛おしい。

今の自分は、苦悩しながらも最善だったと思える選択や努力をしてきたと思えているからだ。


だから今は無理でも、モチベーションを回復できるくらいには復元性が自分にはあると、どこかで信じている。

数年後の自分は今の自分を微笑ましく思っていられるように、書きかけのものが完成できるように、またこうやって感情を残そうと思う。



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