哲学カフェのあり方を考える
先日は哲学プラクティス連絡会に参加した。
哲学プラクティショナーとして、今後自分の哲学カフェをどのような方向性で進めていくべきか、考えていく良いきっかけとなった。
現在では、正確な数はわからないが、200余りの哲学カフェが全国で開催されているそうだ。哲学カフェを開く目的はそれぞれ異なる。がん患者のための哲学カフェや子育て中のお母さん向け、子供向けの哲学カフェを開いているところもある。
私は哲学カフェには、
コミュニティ創設(地域のつながり、同じ志を持った人々とつながっていく)
ピアサポート(同じ課題を抱えた人々がケアし合う)
インクルーシヴな場作り(多様な人々が参加する、安心安全な場)
考える力を育む
という4つの機能があると考えている。
哲学カフェの目的によって、どのような形態を取るかは全く異なってくる。
私が行ってきた哲学カフェは3つ目のインクルーシヴな場作りを目的にしたものである。障害のある人々、小さな子供がいる親、学生、高齢者など多様な人々が共に対話をする機会は日常の中ではなかなかない。テーマは特にこだわっておらず、人々が同じ場に集まって、対話をすることに重きを置いている。あえてテーマが偏らないようにしている。
そして、みんなでその場を作っていくことを大切にしてきた。その場に参加した人が話題提供をしてくれたり、書記を務める、ファシリテーターのような役割をしてくれることで、場に主体的に関わっていけるような仕組みを取ってきた。
この場において、私はファシリテーターとしての役割はしておらず、あまり介入的にはならないようにしていた。
この場で起こったことは、私の責任ではないし、その質も保証できない、というある種無責任な状態だったと思う。しかし、ファシリテーターとしての役割を取らないという形態をとった際にも、それは私がある目的を持ってそういう形態を取っているわけであって、その責任、哲学カフェの質に私自身のあり方が問われている。
そういう意味では、やはり哲学プラクティショナーとしての「熟達」は必要不可欠なのだと思う。単に哲学カフェを行うだけでなく、哲学プラクティショナーとしてもう少し熟達をして、哲学カフェ自体のあり方を進化させていく必要がありそうだ。もちろんその進化は一様ではないし、哲学プラクティショナーの熟達が必ずしも哲学カフェ自体の進化につながるわけではない。
何が言いたかったかわからなくなったけれど…とにかくもう少し今後のビジョンを持って、自身の哲学カフェのあり方を振り返る必要はありそうだ。
私は一体哲学カフェを通して、何を実現したいのだろうか。
哲学カフェの可能性をどんなところに感じているのだろうか。
そんなことを今後整理していきたいと思う。
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