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大人は綿毛を吹く風となれ

およそ10数年来の付き合いになる男子がいる。名前はシュウヘイ。もはや今では年の離れた弟という存在だ。

最初の出会いはTwitter(現在のX)だ。東日本大震災直後の混乱期。大震災のショック、そして、原発事故と社会不安に満ちていたあの当時、
「最初からあきらめる大人ばかりで嫌になる。そんな大人しかいないのであれば、俺は大人になんかなりたくない」
そうつづられた言葉を見つけ、ついほっとけなくなり、
「そんな大人ばっかじゃないよ」
と話しかけたのが出会いのきっかけだった。

そこからご縁がつながり、Twitterでのやり取りからFacebookへと移行し、それから半年を経て、「いろんな大人に会いにいくツアー」と称して、シュウヘイは私に会いにきた。

現実を直視しない社会への不満、出る杭は打たれるのが当然という日本あるあるの価値観への怒り。いま思えば、閉塞感に満ちた社会の空気にシュウヘイは生きづらさを感じていたのだと思う。ずっと怒りのボルテージを変えずに持論を展開するシュウヘイの話を、私はただひたすら聞いては相槌を打っていた。

「そういえばさ、まゆかさんは否定してこないね」
いきなり、ふと気づいたようにシュウヘイが話を止めてそう言った。
「え、だってしゃべりたいんでしょ?しゃべりたい人が話したらいいから、別に否定するも何も聴いてるだけよ」
そう答えると、
「ヘー、こういう大人もいるんだね。俺のまわりにいた大人って、だいたい若造がくっちゃべってると”そういうモンじゃない”とか”今はわからないだろうが”みたいに、自分の話にすり替えてくるから、そういうのが大人なのかと思ってた」
と、物珍しい動物でも見るかのごとく、目をまん丸に見開いていた。

それからというもの、シュウヘイはしばしば遊びにきては、お茶を飲みながら自分がしたいことや見たいこと、知りたいことなどを縦横無尽に話し、頭の中が整理できたと思ったら、それをメモに書き写すということを繰り返した。そして、数か月後には「やりたいことリスト」なるものを完成させたのだった。

「ちょっと聞いてくれる?」
いや、毎回いっつも聞いとるやんけと思いつつ、「はいなんでしょうか」と返事をすると、ゴホンと咳ばらいをしたシュウヘイが、
「えーと、これから3年のうちに俺がしたいことを発表します。まずは、日本一周をヒッチハイクで回りたいと思います。関東近郊の面白い大人たちには会えたので、次の段階として東北ー北海道をまず目指します。西日本北陸九州はそのあとかな。どう?」
どうって…もう”したいことの発表”と宣言してるんだから、返事は当たり前だが、「したらええやん」の一言だ。

「おお、行ったらええやんけ。してこーし!」
と即答で答えると、
「…うわっ…マジで…?反対とかしないの?つかおもしれえな!」
と、なぜか盛り上がる。シュウヘイ、アンタどこまで保守的な環境で生きてきたのよ一体…。

ーーーーーー

ずいぶん前の話になるが、私にもシュウヘイと同じような時代があった。
当時は震災などもなく、平和そのものの社会であったが、それでも主流の生き方は「大卒大手就職一辺倒の偏差値万歳主義」。そんなレールに乗るのが面白くなく、また、息苦しさも感じ、別の生き方というものへのあこがれを抱いていた。

そんなある日、運命の出会いと巡り合う。

たまたま遊びに行ったアラビア音楽のコンサートで、演奏者の知人を師匠と慕う私より年上のお兄さんお姉さんと出会ったのだ。彼ら彼女は、それこそ自由で、誰にかまうことなく、恥じらうことなく、知人が奏でるウードの音色に合わせて、日本人なのにアラビアンナイトに出てくるキャラクターのようによく踊っていた。その姿は、当時17歳の多感な時期にあった私には「あらゆることからそもそも解放されている人たち」に見えたのだった。いったいどうしたらこの人たちのように生きれるのだろうかと、目を見張って彼らの舞に見とれていた。すると、近くにいたお姉さんが、ニッコリと笑って、手拍子をしていた私の手を取り、そのまま皆が踊るフロアへいざなったのだ。

その瞬間はまさに、自分がたんぽぽの綿毛にでもなったかのようだった。ジメっとした大地に根腐れしていくしかなかった未来が、フワっと摘まれ、しなやかに踊るお姉さんの息吹により、虹色の世界へ「ふっ」と背中を押されたのだ。

この日は大盛り上がりで、そのまま知人の演奏者の自宅で打ち上げとなり、飲めや歌えやの大騒ぎ。あとで分かったのだが、この日出会ったお姉さんお兄さん全員がそれぞれみな夢を持ち、それを実現している人たちだった。「俺は3年に1回、人生をリセットして旅に出ている」という人もいて、一般論や常識にとらわれず、自分で自分の人生を決め、お金を稼いで自立して生きていた。
生き生きと目を輝かせて、自分が見てきたモノコトを話すお姉さんお兄さんの姿は自信に溢れて見えたし、何よりも、この人たちの人生には「後悔」という言葉がないのかもしれない、とすら思えたのであった。

話しつかれ、夜明けも近くなってきたころ、家主であるウード奏者の知人がボソっとみんなに、「そうだぞ、人生は自分のものだ。自分を生きろ」とまるで諭すかのようにつぶやいた。そのときのみんなの顔は、いまも覚えている。この日を境に、私は「死ぬときに後悔しない人生を送ろう」と決意したのであった。

あの夜に、話を聴いてくれるお姉さんお兄さんと出会わなかったら、きっと私はシュウヘイのまわりにいたような「お前はわかってない」というセリフを吐き、すぐに否定する大人になっていただろうと思う。

ーーーーー

「否定されなかったのはうれしかったんだけど、ちょっと…なんつーか、否定されないってのも困るもんだね」
と、なぜかシュウヘイは、ちょっと不安げな表情を浮かべた。
「そうか、否定されないってことは誰かのせいにできないってことなんだな。だから俺はとまどっているんだ」
と、なにやら独り言を話している。
どういうこと?と聞くと、
「いやさ、たいてい”危ないからやめろ”とか”旅の資金はどうするんだ”とか、”そんなことしないで就職しろ”とか大人はそういうことを言ってやめさせるじゃない?そういわれるとさ、〇〇さんにそう言われたからやめたとか言えるじゃない?でも、それを言われないということはさ、自分で決めるということであり、人のせいにはできないんだなって、いま気づいた。否定されることにムカついて生きてきたけど、否定されないってむしろおっかねえなって。全部の責任が俺次第じゃんって気づいたわ」
さっきまで饒舌にしゃべくっていたシュウヘイだったが、一気に口数が少なくなり、その日は「俺、帰るわ」といつもより早くに帰路へついたのであった。

それからしばらくして、シュウヘイは旅資金を貯め、日本一周へと出発していき、約3年かけて東・西日本をまわっていろんな大人と出会って帰ってきた。

「日本中をとりあえず見てきて、心から思えたことがある。俺、地元で議員になりてえわ」
戻ってきたシュウヘイが開口一番に話したのは、次のやりたいことリストのNo.1だった。

あれから10年近くが経過したいま、シュウヘイはどうしているかというとい、本当に地元で代議士となり、地元をよりよくすることで24時間、頭がいっぱいな日々を過ごしている。





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