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真っ昼間VIDEOPHOBIA

2021-01-31
福島フォーラム
13:00
鑑賞
ビデオフォビア
言い慣れない単語に
チケット売り場で
噛んでしまって
ちょっと
恥ずかしい
福島民報で
撮影の方が
福島出身という記事を読んで
日曜日の13:00の回に
監督宮崎さんと
撮影渡邊さんの
リモートクロストークを開催するらしいと知って
全く持って
予備知識ゼロの状態で
観に行く
全く持って
予備知識ゼロと今言ったばかりだけれど
映画のサイトは見ていた
やたら
テンション高めの
コメントが
乱立していて
期待感を煽り立てている
音楽はDJBAKU
そこに私の期待を駆り立てられる
上映時間は90分以内
長編と
短編の
間の
サッカーの試合時間
はじまりは静かに
淡々と
女性の日常を写す
言葉の端々で
平成最後の夏
を感じる
演劇スクールの場面では
イトウくん!?
がキレるシーンで
イトウくんは
キレた自分を演じたのではないか?
と思ったがどうやらほんとにキレたように
周りには思われたようだ
二面性の件
全く違う自分を演じる事への示唆

クラブハウスで一変した
テンション
全体の中の一人から
独りへ
リモート対談で
監督は
文学における
人称の問題
日本での一人称と三人称の曖昧さに言及していたように記憶している
三人称
神の視点は世界に開かれた視点
一人称
私の視点は私だけの閉ざされた視点
情事の後
視点はかわる
語り部は
私になる
語り部は
信用できる?
信用ならざる?

こう思った
こう感じた
でもそれは
正しく
認識されているのか?
世界よ

福島フォーラムの支配人アベさんが
興奮気味にとある映画監督の影響を感じた
あの作品に通じるとリモート対談時に話していて
わたしは固有名詞についていけなくて
わかる人にはわかるネタ使いがあったのだろうなと推測する
随所にサンプリングとオマージュ
ヒップホップ的なアプローチ
SHINGO☆西成の看板がフューチャーされる
カットわり
リズム
繋ぎに
グルーヴを感じる
場面では示されない
台詞
言葉は
実際はあったことなのだろうか?
境界が曖昧に
揺れる
多面性
演じる
演じる貴方は貴方か?
私は私か?
なんだ?
私はなんだ?
あんたはなんだ?


着地点

寓話的
変わる?
なにから?
なにへ?
自分とは
自我とは
思う我が信じられないとしたら
故に我ありとは言えなくなる
私の喪失

前作でもコンビを組んだ宮崎さんと渡邊さん
前作ではウォン・カーウァイの話をよくしていたという
今作でもウォン・カーウァイの単語は幾度か出ていたともいう
ウォン・カーウァイ+クリストファー・ドイル
この二人の映画が好きだった自分は
ドイルの視点に近いのか?
と改めて振り返る
多国籍で
無国籍な
世界観は
大阪の街が体現していた

JAZZのように
コードが決まっていれば
ゴールが視えなくても
自ずと
そこに
着地する

モノクロの世界は
人にフォーカスしていく
自然と
視線が
画面の
顔を捉えて離さない
解像度を粗くすることで
より深く内面に潜って
行くような
掘り下げやすいように
facetoface
グラデーションがない色のない奥行きのない世界
平面的でありながら
余白が生まれる

構築される
それぞれの頭の中で
物語は増殖する
















雨ニモマケズ 風ニモマケズ