表紙_渚のアストロロジー

Adan #15

渚のアストロロジー[3/7]

「足が足りねえ。足を向けて寝たい人物の数と、足の数が全然合わねえ。人間という樹木の年輪の数は絶望した回数だ。だから俺が何度も絶望させて、あいつらを巨木に育ててやるぜ。ありがたく思えってんだ。そもそも文章ってのは、伝えたいことをねじ曲げるために存在してるんだぜ。文章がその人の伝えたいことをねじ曲げてくれてるおかげで人間社会は成り立ってる、文章が性格の悪い媒介者で居続けてくれてるおかげで人と人は買い被り合うことができてるってのに、あのお子ちゃま共は、清らかな心さえあれば真っ直ぐな気持ちを文章で伝えられるものだと思っていやがる。まったく付き合いきれねえ。その真っ直ぐな気持ちってやつを文章で伝えたいなら、どこをどう曲げればこの文章は真っ直ぐになるのかってアングルから考えなきゃいけねえんだよ。曲げないと真っ直ぐにならねえんだ、文章ってのは。そんなことも分からねえような奴らとこれからも一緒に仕事しなきゃならないなんて最悪だ! まあ俺のこの真っ直ぐな気持ちを文章にしても奴らはそれを曲解するんだろうが、それこそ! それこそ文章はその人の伝えたいことをねじ曲げるために存在してるって立証することになるけどな! ん? どうした義弟、首の骨でも折れたのか?」

 僕は首を立たせることができなくなっていた。当然さ。毒太朗《どくたろう》の愚痴を二時間も聞くという大事故に遭ったんだ。渚ちゃんの予言は的中したのだ!

 ところで毒太朗とは誰のことなのか、前に少しだけ話したと思うが、毒太朗とは夏太朗兄さんのことである。夏太朗兄さんは酒を飲むと人が変わる。毒太朗という毒舌家に変身し、僕のことを名前ではなく、続柄で呼ぶようになる(そして僕も彼のことを毒太朗と呼ぶようになる。口には出さないけれど)。

 誤解のないように言っておくが、僕が彼に酒を飲ませたわけではない。彼は仕事帰りに外で飲んでいたみたいだけど、飲み足りなかったのか僕の部屋に上がり込んで来て、何の断りもなく僕の酒を飲んでいるんだ。それと困ったことに、この男は酒を飲んだ日の翌日「何も憶えていない」とほざく。誰とどこで飲んでいたという記憶すら残っていないと抜かすのだ。まあ、記憶の方だって毒太朗の頭なんかにずっといたくないと思っているだろうが、無論、僕は疑っている。彼は嘘をついていると思う。

「頭の悪い人間を見ると」毒太朗がブランデーをラッパ飲みして言った。「丸焼きにして食べたくなる。食べたら『俺の糞になる刑』を執行できるからな!」

 僕は毒太朗のその発言を聞いて腹の内で「腹を壊しやがれ!」と叫べただけで、もう背中も立たせられなくなっていた。が、幸いにもこのときインターホンが鳴り、ほどなくして北斗が僕の部屋にやって来た。

 北斗はたまたま僕の部屋にやって来たわけではない。僕が彼を呼んだのさ。毒太朗は愚痴を聞いてくれる相手を選ばない。北斗を毒太朗にあてがえば僕は助かる。毒太朗にあてがうため、僕はそのためだけに北斗を呼んだのだ。

「毒太朗がいるって聞いてないぞ」

 北斗に耳元でそう言われたとき僕は、お互い様だ、と彼に言い返した。何故なら北斗も毒太朗に匹敵する毒物を引っさげていたからだ。

「亜男、シードルある?」と毒物は言った。僕にシードルの有無を尋ねたのは北斗の彼女、宇座《うざ》あい、である。

 気が進まないが宇座あいについて述べる。宇座あいは僕と同い年で、琉球大学の教育学部に通っている。彼女は背が高くて、細くて、足が長くて、おまけに顔が小さい。真っ直ぐな長い黒髪、二重の切れ長な目、高い鼻、整列した白い歯——服装はいつも田舎臭いパンツスタイルだが、宇座あいの容姿は完璧だ。悔しいがそれは認めざるを得ない。彼女は現に、ミスキャンパスにも選出されている。北斗も沖縄国際大学のミスターキャンパスだから、美男美女カップルだ、表面的には。

 僕は幼稚園児の頃、宇座あいのことが好きだった。僕の初恋の相手が宇座あいなのである。が、その思い出は、今では僕の〈抹消したい思い出アルバム〉の表紙を飾っている。なぜ僕が宇座あいを嫌っているのか、それはこのあとの彼女の言動からすぐに分かると思う。ついでに言う。僕と北斗と宇座あいは幼稚園から中学までの十年間ずっと同じ学び舎で、今でもこうやって付き合いはあるんだが、僕は腐れ縁だと思っている。中学三年生の頃だったかな、北斗と宇座あいが彼氏彼女の関係になったって僕にわざわざ報告しに来たときも、僕は別に何も思わなかった。実際彼らに何の言葉もかけなかったはずだ。北斗と宇座あいのことなんて、僕には地球の裏側にいる人のしゃっくりくらいどうでもいいことなんだ。それから、僕は小学一年生の頃から宇座あいのことをフルネームでそう呼んでいる。彼女とは正反対の控え目で可愛らしい「愛ちゃん」って子がいたから、宇座あいはフルネームで呼ぶことにしたんだ、呼び捨てで。こんな言い方したら彼女に悪いと思っているから言うけど、宇座あいは僕の中で、小学一年の時点で格下げされたってわけさ。

 さて、僕は北斗に毒太朗をなすりつけることができた。毒太朗は北斗をつかまえて彼に愚痴をこぼし始めたのだ。計略通りである。が、僕は新たな別の毒物に害されることとなった。そう、宇座あいを北斗からなすりつけられてしまったんだ。

「亜男」と宇座あいがシードルをグラスに注ぎながら言った。意地悪な笑みを浮かべている。「好きになった人が男だったんだって?」

 ヒカルさんのことだ。北斗からこの女に僕の近況が筒抜けなのは例によって例の如しだ。

「うん、そうだよ」と僕は朗らかに応じた。「とても美しい男の人だった。いま君の顔を見て、その人が如何に美しかったか思い知らされているところさ」

「それはそれは」宇座あいが言った。「その人より美しくなくてほっとしてるよ。美人すぎて、あんたに変な気を起こされたら困るもん。スイーツみたいに別腹で食べられる自己・他者承認を欲望のおもむくままに摂取し続けて心がデブになること、言うなれば『承認欲求太り』するよりはるかに困る」

「安心して」僕は言い返した。「君がどれだけ美しくなろうが、僕が君に変な気を起こすことはない。人が皆お金持ちになるなんてことが起こり得ないように、僕が君に変な気を起こすなんてことは絶対に起こり得ないから」

 宇座あいが僕に向かってグラスを軽く掲げたから、僕も彼女に向かってビア・マグ(中身はディーゼルだ)を掲げた。それから宇座あいはシードルを一口飲んで、こう言った。彼女はいきなり僕の胸元に100マイルの豪速球を投げてきたんだ。

「亜男、占いは当たってた?」

 つづく

「Adan No.15」を読んでくれて、本当にありがとうございます!
 次回の「Adan No.16」は、6月23日(日)の23時59分までには必ずアップします! 是非また読んでいただけると嬉しいです!