表紙_渚のアストロロジー

Adan #13

渚のアストロロジー[1/7]

 ギャンブルは生活のため、そのためだけにやるべきだ。付き合いでやるとか、暇潰しにやるとか、男性であるヒカルさんのことが忘れられない自分を忘れたくてやるとか、そんな不純な動機でギャンブルをしてはいけない。そんなぞんざいな態度で勝てるわけがないのだ! そうだとも! チスイビルが献血しようと思うわけない!

 と、僕が声を大にしてそう言い切れるのは、ウォーカーヒル先生にまたまたみっちりとしごかれ、精も根も金も尽き果てて帰って来たからなんだ。

 自嘲する己《おのれ》を哀れみ、その哀れむ己をまた自嘲するという精神の規則正しいリズムを、僕は自分のものにしてしまった。それはある意味で、自分を他人のものにしてしまったとも言えるし、僕の中の荻堂亜男たちが離散してしまったとも言えるし、そんなことはまったくないとも言える。そういうわけだから、僕が占い師に助けを求めたのは至極当然と言っていいのではあるまいか。

 いや、僕が助けを求めたというよりも、占い師に会う「機会の方」が、お節介にも僕を助けようと押しかけてきたんだ。それはウォーカーヒル大先生の厳しい修行を受けて帰ってきた直後のこと、アメリカンビレッジにある行きつけのタコライス屋「パーラー百里《ひゃくり》」に早めの夕食をとりに行ったら店主の田古田《たこた》さんに、「昨日から店内の一角を占い師に間貸ししてるんだ。その占い師はもうすぐ来ると思う。亜男くん、こう言ってはなんだけど、君はその占い師からアドバイスをもらった方がいいと思うよ。君の耳もそれを望んでるんじゃないかな。自分が『当たり前』だと思っていること、それが実は『はずれ後ろ』だったって気づかせてくれるかもしれないし」と言われたのさ。自嘲する己を哀れみ、その哀れむ己をまた自嘲するという魔のサイクルから抜け出したい人間は、その占い師の到着を待たないことはできないだろう。

 僕はテレビの占いのコーナーとかファッション雑誌に載っている占いなどに軽く目をやるくらいで、占い師に直接会ってアドバイスをもらったことがこれまで一度もなかった。そういえばテレビの占いと言って思い出した。ある日テレビをつけたら「今日の星占い」の放送をしていて、僕は二位から十二位まで観たんだ。そのとき自分の星座が出てこないままその占いのコーナーは終わってしまったのだけれど、それはつまり、僕は一位だったってわけだ。でも、一位だった自分の星座を観れなかったのは不運ではないだろうか? あとついでに訊くけど、永遠の命を与えられていないことが我々にとって一番の幸運ではないだろうか?

 さて、僕の頭の中の占い師像は尼僧のような格好をしたおばさん、あるいは茶人のような格好をしたおじさんのイメージしかなかった。いずれにせよ、若い占い師は僕の頭の中にもその周辺にも存在していなかった。だから耳を完全に覆うタイプのヘッドフォンを首にかけたストリート系女子がスチール製ブラックボードの立て看板を持って、お待たせしました、と僕に声をかけてきたときも、僕はその娘《こ》のことを占い師だと思っていなかった(人生がリバーシブル仕様だったらなあ、とは思っていたが……)。パーラー百里の新しいアルバイトの娘が占い師のテーブルの準備を手伝っている、最初はそう思ったのさ。だけど、ブラックボードにピンクやブルーやイエローといった色の蛍光ペンで、「渚のアストロロジー」「15分500円」「河豚《ふぐ》より当たる!」というポップな書体の文字と、十二星座の可愛いイラストが描かれているのを目にしたものだから、僕は驚いてその娘にこう尋ねたんだ。

「君が占うの?」

 その娘はむっとした顔で僕を見た。そして言った。

「私は児童書を読むように星を読めます、容易に」

 僕は非礼を詫びた。彼女はまだ若いのに、占い師としての誇りをすでに持っているようだった。ウェブページが破れるくらいの筆圧も持っているのかも、とも思った。

 僕はその娘に誘導されて、店の奥にあたるカウンター側の席から、玄関側の席に移動した。それは北アメリカ大陸からオーストラリア大陸に移動するようなものさ、空飛ぶスパゲッティ・モンスターからすれば。

 パーラー百里は海沿いにある三階建てファッションビルの一階にあって、フロアの広さは三十平米ほど。床は板張りで、壁の色はブリティッシュグリーン。フロアに並べられたテーブルと椅子も、すべてブリティッシュな猫足のものである。がしかし、店内にはずっとレゲエミュージックと、時間という概念が流れている。店の雰囲気に名前をつけるとすると、場所は沖縄にあり、タコライスはメキシコ風アメリカ料理のタコスをアレンジしたものだから、オキナワン・メキシカン・アメリカン・ブリティッシュ・ジャマイカンって感じかな。

 黒地に白い線で図案化された大きな五芒星《ペンタグラム》のプリントしてあるテーブルクロス(僕の方から見たらサタニズムの五芒星だったけれど)をその娘が丁寧に敷いているあいだ、僕は何を占ってもらおうか悩んでいた。だって、もう僕には占ってもらいたいことなど何もなかったのさ。そもそも僕が占ってもらいたかったのは、運命の人にいつ出会えるのか、ということだったのだから。

 準備が整った様子の織姫が言った。

「心中お察しします。あまりにも静かすぎて鼓膜がもたないという感覚に苦しんでいる。風船を大空へ飛ばすために、その風船を口に当ててずっと膨らませる作業をしているような、そんな息苦しさに耐え続けているわけですよね。分かります。でも安心してください。明日はまだ生まれていません。喜ばしいことに、明日という日はまだ死んでいるのです。もしお客様の周りに性根の腐った人間がいたら、その人と縁を切るだけでも運が味方してくれるようになりますよ。性根の腐った人間は踏み台にもなりません。腐ってるから足を置いた瞬間に壊れちゃうんです。また、今こそ夢を諦めるチャンスだと思っていらっしゃるのなら、それは見送ってください。そんなチャンスはこれからいくらでも訪れますから。氷の上で生きる覚悟をしましょう。ずっと履き続けたいスケート靴を履いたのなら、氷上で生活するほうがはるかに楽だと思いますよ。浅瀬は探しましたか? 答えは深いところにあるのではなく、浅いところにあることが多々あります。ゴミに紛れて砂浜に漂着してることだってある。どうせすべて神の手柄になります。なので、不幸はすべて神のせいにしてしまいましょう。人間から嫌われることが神の仕事なんです。神に仕事させてあげましょう、もちろん無給で。サウンドホールによくピックと運《ラック》を落として困っていらっしゃるのなら、そこにピックを詰めてください。サウンドホールをピックで満たしておけば、誤ってそこにピックを落としてしまうことはなくなります。ラックについては分かりません。自分は空回りしている、と思ってらっしゃる? それならもっと空回りしてください。猛烈に空回れば動きます、世界のほうが。目的地のほうがこちらに来てくれるんです。しかし、長い時間をかけて育てると大きな花を咲かせることもできますが、ラフレシアなどの大きな花の特徴として、人が不快を覚える臭気を発することもあります。なので、あまりに長い時間をかけて大きな花を咲かせようとするのも考えものです。それと、社会というのは世界で一番優しい人物を決めるために血で血を洗う抗争を繰り広げる闘技場ですが、あたたかい心で相手を包み込みすぎないほうがいいですよ、その人が熱中症になってしまいますので。それから、『科学的根拠のない占いに価値などない』と仰る方がいますが、科学的根拠のあるものだけを信じているその人たちって、科学の進歩に不必要な人たちだと思いません?——申し遅れました。占星術師の渚《なぎさ》です。よろしくお願いします」

 つづく