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おだやかな風~中動態としてのおだやかさ

香り、思い、呼吸。
私と香りとその奥にいる私を振り返るNOTEの3日目。
香りのサロン活動の大切なファクト「ときめく会話」「目から鱗の大刺激」「おだやかな風」「エレガントな尊重」の今日は3つ目のこと。

牽制や抑圧の介在しない空間で自ずと生じる”ときめく会話”
アンラーニングできるからこそ”目から鱗”がおちで、”大刺激”をうけとめられる
さんざめき、にぎやかさ、アハ体験のうちにも運ばれてくるのはおだやかな風。
「おだやか」には私がその場に運び入れたい風と同時に、他者から言われる私自身のおだやかな空気感があるのだろう。
(心中いつも穏やかなわけでは決してないけど!)
風は空気を循環させる。循環され空気に芳香物質も浮遊し、香りも循環していく。それは常におだやかなものであってほしい、サロンでは。

おだやかのフィット感
どの程度がおだやかか、人それぞれの感触にフィットさせたい。
それは、実際に吹く風ではなく、集った人が感じる心地よさだからだ。
「楽しかった」とか「優雅な気持ちになった」とか香りの世界に浸りきった率直な感想をいつもいただけて、ありがたい。
「おだやかな気持ち」になっていただけてるだろうか。

”おだやか”を測る指標
実は、嗅覚を駆使すると意外と脳がつかれる。高揚感とともに、心地よい疲れもちょっとあるのではと思っている。
そのような状態でも、心におだかかな風が運ばれる時間になっていただろうか。
今の考察として、おだやかという抽象的なものを、測るには、
・焦りや緊張がなかった
・他の人に対して気後れしたり、遠慮したりがなかった
・創った作品の仕上がり以上に創る過程が楽しめた
・悔しい思いがなかった
そんなところだろうか。

翻って、緊張させず、焦らせず、気後れや遠慮をさせず、プロセスを楽しんでいただけるように仕掛けていく、ことが「おだやか」に近づけていくことなんだろうか?そのことは「ときめき」や「刺激」や「エレガントさ」とは明らかに違うのだろうか?
違わない、通じていると思う。

中動態としてのおだやかな風
ときめく会話をするというのは能動的、刺激を受けて目からうろこが落ちるのは受動的、おだやかな風を運び入れるのは中動的といえばいいのだろうか。その人の心の中から起こる感情。
そういう関係性がこの三者にはあるのかもしれない。
「ときめく会話」「目から鱗の大刺激」「おだやかな風」。

モニタリングの時間
実際に浮かぶ場面として、参加者同士の香りモニタリングがある。
「こんな香りが似合いそう」「この香りをぜひ使ってほしい」何故なら・・・を互いにコメントし合う時間だ。
初対面同士の方々が、香りをツールにして打ち解け、打ち解けたからこそ互いが与える第三者視点、意外な自分の発見。
それまでに重ねられた会話がそれを可能にしていく。

皆さんが口々に、自分に合う香りや自分のイメージの香りをモニタリングする時間が楽しかったと言ってくれることが、それを裏付けているのかも。
おだやかな風は確かに運ばれている。

#note100日
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