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善財童子と東海道五十三次(出発地:日本橋)

善財童子とは華厳経という仏教経典の中に登場する青年です。華厳経とは南都六宗(奈良時代の仏教宗派:華厳宗、法相宗、倶舎宗、三論宗、成実宗、律宗)の1つ華厳宗の基になったお経です。南都とは平安時代に京都の南側の都市であるという意味で名づけられた名称で、華厳宗の大本山は奈良の大仏で有名な東大寺ですね。ついでに言えば興福寺、薬師寺は法相宗の大本山、唐招提寺は律宗の大本山ですね。残念ながら現在、倶舎宗、三論宗、成実宗のお寺は残っていません。

善財童子は「仏とは何か」「生きる苦しみはどうしたら解消できるか」「悟りを得るためにはどうすれば良いか」に悩み文殊菩薩に相談しました。それに対し文殊菩薩は善財童子へ
「それではお前はこれから自分が指し示す方向に、53人の人々を訪ねて教えを受けなさい」と言われました。それで善財童子は自分の悩み解決のために53人の人々を訪ねる旅に出発したと華厳経には書いてあります。53人のうち、20人が女性で、なかには外道もいます。普通なら仏教の偉い先生の中から選びそうなものなのに文殊菩薩はとにかく人生の成功失敗を問わない色々な人生経験者のところへ行って教えを乞いなさいと言ったわけです。

さて、徳川家康は徳川幕府がある江戸と天皇お住い京都御所がある京都間の交通をスムーズにするために53の宿場を制定して発展させました。各宿場には多くの人馬や飛脚を揃え宿場間の移動に便宜を図りました。江戸と京都間を3日~4日で移動したそうです。

徳川家康が浄土三部経(仏説無量寿経、仏説観無量寿経、仏説阿弥陀経)はもちろん華厳経を始め多くの仏教経典を読んでいたことは色々な資料で解ります。東海道五十三次の53宿場は善財童子の53人への学びの旅に因んで徳川家康が制定したことも色々な資料から解ります。

私はこれから時々気分転換の折りに善財童子の学びの旅を東海道五十三次と共に学んでいきたいと思っています。出発地は宿場ではありませんが東京都中央区日本橋です。第一の宿場は「品川宿」で53番目の「大津宿」は滋賀県大津市で執着地は京都の三条大橋ですね。

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