企画公募はおじいちゃんの慰め【出版業界四方山話】

多くの出版社では一般の人々から書籍企画を募集していて、募集している以上、それが十分におもしろければ書籍化されることがある。実際、私の先輩がとある公募企画を実現させ、その本がそこそこ売れたケースを私は見ている。

そんで今日、私の元に大きな封筒が届いた。一般人からの企画だ。しかし、もう封筒を見た段階から「これはないな・・・・・・」と思ってしまった。なぜなら、宛名を書いた筆跡が大変たどたどしく、書くところもズレていたからだ。端的に言えば「きちゃない」のである。

しかししかし、もしかすると、中身はとんでもない傑作である可能性がまったくゼロというわけではないのだから、念のために一応、開けてみる。だが、ミラクルがそうやすやすと起きるはずはなかった。

1枚目は編集部に宛てた手紙と自己紹介文なのだが、ウネウネとした手書きの文字で綴られている。そして、こんな内容のことが書かれてあった。(原文はやたら長くてダラダラと書かれていたので、以下は私が意訳した内容)

「私は年金生活者ですから、時間だけはたくさんあります。なので、こんなのを書いてみました。本にしてください。私は最近のテレビを見ていて、その陳腐さにうんざりしています。だからこそ、有名大学や有名な賞などの権威主義に弱い日本人に物申したいのです」

おまえのその発想こそ陳腐じゃ!!

そもそも、「暇だから書いてみた」ものを送りつけてくるあたりがもう気に食わない。私は別に趣味で本を作っているわけではないのだ(いや、半分くらいは趣味だけど)。少なくとも、「著者が書きたい本」を作るのではなく、「読者(もしくは私)が読みたいだろう本」を作るのがお仕事である。この人が本を作りたいのは勝手だが、それは自費出版でがんばってくれ。

ともあれ、こういう風に出版社に企画書を送ってくるのは、だいたい7割くらいがリタイアした高齢者(しかも男性)だ。彼らが出してくる企画はパターンが決まっていて、「自分の人生を振り返りたい(誰が読むんだ?)」「自分が人生で学んだことを伝えたい(その結果、どれだけ成功したんですか?)」「社会に物申したい(新聞の投書欄に投稿してください)」がほとんどである。たまに、自分が専門的に勉強した歴史とか科学とか哲学といった話を書きなぐってくる人もいるが、やたら高度かつ難しい言葉を使っていて、とても売れるイメージはつかないので、残念ながらそのままボツ箱行きとなる。合掌。

まぁ、そもそも高齢者しか企画を送ってこないのも当然といえば当然だ。つまり、彼らはインターネットとかSNSとかを使いこなせないので、自分の考えを発表する場所として新聞や本などしか思いつかないのである。それに対して、若い人々はブログなりSNSなりpixivなりこのnoteなり、自分の作りたいものにマッチした場を知っていて、そこで活動する。わざわざ自分の作ったものを金をかけて出版社に送るよりも、ネット上で人気者になって出版社のほうから声をかけてもらうほうがずっと賢いと知っているのだ。

それに、じつは、多くの編集者は会社に送られてきた企画にあまりよい印象を抱いていない。なぜなら、編集者は「自分でおもしろい企画を能動的に見つけたい・作りたい」イキモノだからだ。先方から「本出したいです!」アピールを熱烈にされると、やる気がしぼむのである。私なんかは、ネット上を周遊して「まだ爆発的な人気にはなっていないけれど、これから絶対に人気になりそうな人物」を見つけると、ドキがムネムネしてくる。そういう隠れた逸材を見つけたときこそ、私が仕事にやりがいを感じるシーンのひとつである(別のシーンはもちろん、自分が作った本に重版がかかったときである)。

もう世の中がこういう状況なんだから、小説の新人賞のようなものでも開催していない限り、一般から原稿を募集するのは賢いやり方ではないのだろう。むしろ、小説の新人賞だって、わざわざプリントアウトして郵送するのは非常にばかばかしい。昨年大ヒットした小説『君の膵臓をたべたい』だって、あれは「小説家になろう」から編集者が見つけてデビューした作家さんの作品だ。

……まぁ、それ以上に、ネット上の創作活動で十分にマネタイズできている人であれば、わざわざ出版社から本にするメリットすらないのかもしれないが。

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