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士業広告と専門家のジレンマ

深澤 諭史
弁護士
士業適正広告推進協議会 顧問

1 士業が感じているジレンマ

士業であれば誰しもこういうジレンマを感じたことがあるかと思います。

「断言してあげたいのだけれども、断言できない」
「断言できれば、どれだけよいことだろうか」

紛争を扱う弁護士や認定司法書士であれば、「勝ち負け」について断言できればどれだけいいかと思います。また、相談者も、要するにどれくらいの可能性で勝てるのか、ということを一番気にしています。

あるいは、税理士であれば経費として認められるかどうか、弁理士なら特許として認められるかどうか、行政書士であれば、許認可が得られるかどうか、それぞれ、相談者が気にするであろうことであり、それら士業が尋ねられることでもあります。

ただ、なかなか断言できることは多くはありません。完全に証拠が揃っている裁判でも、相手方がそれよりも有力な証拠を持っているかもしれません。相談者の記憶違いもあるかもしれません。何より、お金を相手に請求する事件ですと、そもそもその相手が取り立てる財産を持っていないと話になりません。

このようなジレンマは、士業が知識や経験を積めば積むほど、専門性を高めれば高めるほど大きくなります。経験を積むに従い、相談を受けた案件には例外があることを実感し、思い知っているからです。

士業にとっては、不安を抱えて来た相談者には、できれば断言をして安心させたいものです。また、相談者もそういうことを期待しています。それは無理からぬ事です。

ただ、士業としての専門性、倫理観、なによりも相談者に誠実であろうとすればするほど、そう簡単に断言はできないものです。

士業が専門家らしく、士業らしくあろうとすればするほど、相談者が求める「断言」ができなくなってしまう、ここに専門家としての、「士業のジレンマ」があります。

2  広告の難しさ

「断言」との関係で配慮に苦労するのが「広告」の問題です。

士業広告に限らず、商品やサービスを宣伝する広告であれば、その商品等の内容、長所、それを購入・利用することによって得られる利益を強調することになります。

たとえば、サプリメントであれば一定の体調改善の効果をアピールしますし、家電製品であれば、それで生活が改善することをアピールすることになるでしょう。

もちろん、そういう「改善」は100%確実ではありません。その商品等の品質はもちろんのこと、利用者の事情、商品等との相性といった要素もあるからです。

そこで、どこまで断言するかという問題があります。このあたりは、「不当景品類及び不当表示防止法という法律」や、あるいは「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」で規制されています。広告を行う側としては、広告としての効果、説得力と、誤解を招かないようにする、法令を遵守することとのバランスに苦慮することになります。

3 士業広告特有の難しさとジレンマ

2のような苦労は士業広告でも同様です。そして、士業広告ではこれに加えて、専門性の高さ故に、意図的であれ、偶然であれ、利用者が容易に誤解してしまう、過度な期待を抱いてしまう、という事情があります。

また、よく言われることですが、士業が市民の抱える問題にどのように役に立てるのか、そもそも知られていない、という問題があります。たとえば、刑事弁護というと、市民からすれば、ドラマで見るように無辜の不処罰、つまり無罪を主張するイメージが強いです。

ですが、大部分の案件は本人が犯罪事実を認めていて、より軽い処分を目指して活動するほか、一番切実な問題として、1日でも早い身柄の解放のために活動します。

刑事弁護の広告でいえば、「無罪(不起訴)を目指す」という広告だけではなくて、「1日も早い釈放を目指します」等、そういうアピールをすることになります。

しかし、こういう一般市民に馴染みが比較的少ない士業の役割をアピールしようとすると、先ほどの「士業のジレンマ」に悩まされることになります。

刑事弁護であればより早い釈放が目指せる、離婚問題や相続問題であればより早い(そして依頼者に有利な)解決が目指せる、とアピールすることを考えます。ですが、弁護士に頼めば、必ずより早く釈放されるとか、解決する、有利な結果が得られるものでもありません。もとより弁護士は、有利な結果を請け合うことが禁止されています(弁護士職務基本規程29条2項)。

もっとも、よりよい結果が得られない可能性ばかり強調すると、士業が仕事を得られないばかりか、利用者は士業を利用して良い結果を得られるかもしれない機会を逃すことにもなってしまいます。

そして士業としては、経験を積めば積むほど、「士業のジレンマ」に陥りやすく、むしろ経験豊富で優れた士業ほど、例外ばかり強調したあやふやで頼りない、市民にとっても士業にとってもあまり意味の無い広告をしてしまうかもしれない、ということになります。

もちろん、誤導、誇大な広告は慎むべきですが、一方で、「士業のジレンマ」に引きずられて、社会に求められる役割を果たせない、という問題もあるのではないかと思います。

4 ある程度高い確率で良い結果が望める分野と士業広告

さて、確実であるとまではいえないが、かなりの高い可能性で状況の改善の見込める士業の業務分野があります。典型的には借金問題と交通事故被害者の問題です。

借金問題であれば、破産をすれば基本的に借金は免除されますし、任意整理(債権者との交渉で支払額を減らすこと)であれば、大抵のケースでは、減額を達成することができます。

また、交通事故でも、通常、保険会社が提案をする賠償金額は、裁判で認められる金額よりも低いことが少なくなく、弁護士が介入すれば、かなりの確率で増額が見込めます。

もちろん、以上は高い可能性というに過ぎず、例外もあります。借金問題で言えば、そもそもその債務が通常の消費者金融等からの借金ではなくて、税金関係や、養育費等の破産でも免除されない債権であれば、弁護士が介入をしても減額は困難です。また、破産ができても、免責不許可といって、借金の免除が認められないことも稀にあります。

また、交通事故でも、そもそも加害者が無保険であれば、弁護士が介入したからといって増額できる可能性はさほど高くないでしょう。

このような例外を重視すると、弁護士に相談すれば借金問題は解決できる、交通事故被害について賠償金が増額できてその後の生活への不安を軽減できる、と軽々に広告で述べるのは問題があるようにも思えます。

しかし、逆に、少数の例外を強調し、うまくいかないケースを前面に押し出しすぎると、広告としての効果が減じられるだけではなくて、市民から士業に依頼する機会を奪ってしまうことにもなりかねません。ここに、相談時に断言ができないということと同様の「士業のジレンマ」があります。

5 私見:士業広告の表現の程度は事案に応じるべきではないか

私は、士業広告においては、どの程度良い結果の予想を示して良いか、これを一律に考えることは難しいし、適切でもないと思います。

すなわち、弁護士他の士業が介入することで、たいていの場合はよりよい結果、改善が望めるのであれば、ある程度高い可能性で良い結果が望めることを広告でアピールすることは、許容されるし、それは市民に士業選択の自由とアクセスの機会を実質的に保障するためにもそうするべきであると考えます。

典型的には、借金問題や交通事故被害者側であれば、ある程度高い可能性を示唆するのは問題が無いと判断します。また、仮に、結果を保証するような広告をこれらで出しても、借金問題は返済が減額出来た余裕の中から、交通事故被害は増額できた(獲得できた)中から報酬を得る仕組みですので、誇大な広告、結果を保証する広告を出して受任したところで、士業には経済的なメリットは無く、誇大広告の弊害もあまり考えられません。

一方で、無罪を主張する刑事弁護や詐欺被害回復など、一般に難易度が高い、そして、結果に拘わらず初期段階に依頼者が報酬を先に負担しなければならない案件では、結果を保証した上でそれがうまくいかない場合の弊害は大きいものになります。

こういう案件については、やはり、良い結果の見通しをどこまで表示してもよいかについては、ある程度慎重になるべきだと思います。

6 まとめ

士業広告の問題というと、広告効果と、士業の社会的責任、専門性から表現は「控えめ」にすべきという対立軸で捉えがちです。

もちろん、それも重要な視点であることに異論はありません。

ただ、士業広告が市民に士業へのアクセスを保障するインフラとして機能している今日においては、もう少し実質的に、案件の分野毎に、弊害の多寡をよく考えて、許される表現の程度を、それぞれ個別的に検討するべきではないかと思います。


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