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人生にはその時々にふさわしい言葉が降ってくる


最近色々悩みながら過ごしていてふと思ったことがある。それは人生にはその時にふさわしい言葉とであるということである。

同じ本を何度も読み返しても新たな発見がることとも関係しているだろう。人間は常に変化し、価値観もまた微妙に変化しているだろう。過去の自分という視点と今の自分という視点では当然のことながら変化が出てくる。

これを書いているときは最近よく「愛することは受け入れること、恋人が別れやすいのは3ヶ月から一年の間、初めはいいところしか見えていないが、一緒に過ごすにつれて相手の嫌なところが出てくる。その時にそれを受け入れることができるか」などといった、「愛」について考えることが多かった。

さらに振り返れば、自分が大学2年生の頃くらいは自己啓発でよく言われる、行動すること、熱中すること、などがよく目に入り、メンタルが死んでいる時であれば自己受容、自己重要感や自己肯定感などと言った言葉がよく心に響く。

私の読書術として読み終わった時に頭に残ってなかったらそれはいらないものだったと思うようにしている。現時点では必要のないことなのだろう、本当に心に沁みて心で理解した言葉はずっと残り続ける。むしろ読書で心から感じることができる言葉にであることができるのはそうないだろう。

私のこの読書術と今回の話の共通点は心で感じたかどうか、心からの「あーそうだったのか」という納得感を得られたかどうかだろう。

ところで真夏、喉が渇いている時ほど美味しいお水はない。ではなぜ美味しいと感じるのか。それは渇いているからである。これは心も同じであろう。

人生という長い道を考えた時様々なフェーズがあり、さらにはもっと細かい「状況」がある。その時その時に心は常に不安と戦っていて渇いている状態である。それこそがタイトルの通り「人生にはその時々にふさわし言葉が降ってくる」という言葉なのだろう。

本を読んだからといって将来先人たちが侵した過ちをしないかといえばそんなことはないだろう。むしろ実際にミスをして「あーこれか」と心から実感して日々の生活に生かすことのほうが多いのではないだろうか。

私たちが生きているのは今この瞬間である。もちろん将来のことも大切である。しかし心が渇いているのは今この瞬間であり、将来というのは今この瞬間お積み重ねでしかない。そうなれば私たちは今この瞬間の心と対話し今を生きるのがより良い生き方になるのではないだろうか。

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