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人生はゲームだ いつまでも見つからない自分

「あなたの本当の姿はどんな姿ですか?」

とあるメガベンチャーのリクルート面談中、突然質問された言葉。
当時の私はこの質問に止まってしまった。

基本的に話すことは得意であり、意地悪な質問に対しても止まらず切り替えす、ということをモットーにしていた私にとって、ショックな出来事であった。

本当の姿??
もしかして、このリクルーターは私が今まで話していることに嘘をついているとでも思っているのか
と、どぎまきしながら質問の意図を捉えようとする。

今考えれば、この質問に意味はなく、ただ単に感情を揺さぶるテストだったのかもしれない。でも、私がショックだったのは、質問に答えられない自分である。

面談の時の自分は、いつもの自分であり、本当の自分であった。
だけれども質問された時に、これが素です!!と元気よく答えられなかった。なぜであろうか。

絶対的な自分は外の環境で、そして内なる自分と向き合うこと

同じような現象として「自分探しの旅」という言葉がある。
真の自分を見つけるため、外の世界に出ることでコアな自分を見つけることを目的とする。

最初にお伝えすると、自分探しの旅を否定するつもりはない。未知なる場所で旅をすることで発見することは多くある。予想外の事態に身動きが取れない自分の弱さ、反対に強さ、初めて出会う人々とのコミュニケーションの取り方、など勉強になることは多くある。

ただ、自分を探すということは自分の外にあるものだろうか。
自分らしさとは、相対的なものではなく、絶対的なものなのではないか。

就活での仕事の軸や、自己分析もまた「絶対的な自己」を発見する作業だ。
ただ、これはすぐに見つかるものではない。だから就活生は自己嫌悪に陥る。性格診断みたいな、選択肢の煩わしいテストの結果だけで自己を測れることはできない。

就活生だけではない。社会人になっても自分の強みって何だろうと悩む。
人の最大の悩みはいつだって自分についてだ。当たり前っちゃ当たり前だけど、結局自分にベクトルが向いている。

外の世界に出る時、私たちは外の世界の情報に対して敏感になる。
たとえば、誰かのインスタの投稿を見て「あ、〇〇ちゃんは今日も美味しいお店でご飯を食べて、高級なカフェでお茶している」と、相手の情報がインプットされる。それはSNSに向けた、ただの虚像でしかないにもかかわらず。

そしてそのインプットされた情報と、現状の自分を比較し、
人によっては悲しさを覚え、人によっては〇〇ちゃんより自分が優れている点を想像し、人によっては羨望の眼差しを向けるのかもしれない。

ここまでの、この感情の揺れ動きは誰しも感じることだ。だからSNS疲れ、なんて言葉が流行り、デジタルデトックスという言葉が生まれる。

この時、重要なのは、ここで一度立ち止まることだと私は考える。

別に嫉妬することや、人と比較してその優位性を誇示することは何ら問題のある行為ではなく、人間らしくて非常に素晴らしいと感じる。
ただ、その上で「自分を知る」ために、なぜ私はそのような感情を抱くのか、という分析が必要になる。

きっとそこに自分らしさは眠っており、自分が人生で大切にしたい、あるいは気にする内発的な動機があるはずなのだ。


「絶対的な自分は外の環境で、そして内なる自分と向き合うこと」とは、
外の世界で自分と他者を比較するのは大いに行うべきだと肯定し、
その中で、なぜ自分がこのような感情を抱くのかと内省する必要がある、という意味を内包する。

結局、自分のことは自分が一番わかっていない

だけれども、このタイトルの通り、人間は自分のことを把握するのが一番難しい。そもそも私たちは鏡がなければ、自分の顔を見ることさえ出来ない。

しかも人間は矛盾する生き物で、抱いている感情と実際の行動はチグハグだったり、予想が出来ない。内省しなさい、と言うのは簡単だが、行うことは非常に難しい。

ただ、それを含めて
自分とは何者か、と永遠に問い続け、考え続けることに、人生の楽しさを見出したいと考える。

ゲームは難易度が高ければ高いほど、その時間に費やすことも多く、熱中する。単純明快なものより、一度取り組めばやめられなくなる中毒性もある。

自分探しは、つまるところ、快楽の一種になるのかもしれない。なんて考える6月の夜。

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