見出し画像

人生はゲームだ 社会人Ver.1「評価されるとは」

就活体験記っぽいものを書いてから早2年。取り巻く環境は大きく変化し、私は社会人という組織的ラベルを獲得した。みなさま、お久しぶりです

正直、ここ2年間、時間の流れがとても速く、何か文字で表現しようとする心の余裕をもつことが出来ていなかった。だからこそ、私は今、人生の余白を必死につくる努力を心がけている。と、ちょっとカッコよく言ってみる。笑

先日、大学時代の後輩と話す機会があった。コロナが流行してから入学した学生さんだ。同じ大学に通っていたにもかかわらず、話していることがまるで通じない。大学の教室名もわからない。通学の友達と通う楽しさを知らない。サークルの夏合宿はまぼろし扱い。何より、友達がいないと嘆いている。

コロナが奪ったものは本当に大きかったのだと痛感した。そして、同時にコロナ禍の中でも自由に動き回れた職場に感謝する。就活はとても大変だった。当時は落ち続ける大変さにばかり、目が行っていたが、実はそうではなかった。

自分を客観的に捉えられていないがために、自身の枠をはずれた会社選びばかりしていたから、大変だった。なんとなく有名だから、という理由で頭も使わずに就活をしていたから大変だった。こんなところが理由だと思う。

すべてに対して言えることは、今下した決断がどうなるかは、その時にならないとわからないし、結局は自分の捉え方がすべてだ、ということ。コロナが奪ったものは大きいかもしれない。だけれども、コロナという巨大なインパクトによって、加速したものだってあるはずだ。すべては捉え方だと、社会人ver.1で学んだ。

社会人2年目というコスプレをしている今、私には後輩ができた。実は社会人1年目から後輩はすでにいたため、先輩です!という感じではないものの、とにかく後輩ができた。後輩たちが悩んでいるのは、どのように人に評価されるか、ということ。だけれども、よくよく話を聞くと、評価されたいという意気込みが1mmも見えない。

社会人になってから、評価される、ということがどのようなことか、少しずつシステム理解できてきた。大学生の評価はGPAやレポートの成績など、数字的な評価だったり、あるいはもっと人間的に顔が可愛い、お金を持っている、素敵なひととお付き合いしている、みたいな主観的な評価もあった。

社会人の評価とは何か。ある点でみれば、それはまず、上司の評価だ。自分より年齢が高めだったり、経験値が高い、そんな上司からの評価だ。先ほど話に出した後輩は、この上司が私のことを理解してくれない、評価してくれない。と悩んでいた。

評価されることを履き違えないでほしい。
評価とは、客観的に物事をみて点数をつけることではない。評価とは、その評価者が何を求めていて、どこが一番心を揺さぶるのかそのポイントを見つけるゲームだ。

つまり、評価者に評価される前に、こちらがその評価者を評価できる技量がないとゲームにならない。いつまでもルールを理解せず、私は評価されないと外野で文句を言うだけの人になる。

よく社会人になると、評価はすべて結果のみだ。実績が伴わないことには評価されない。なんて言われる。それも正しい。だが、付け足したい。

評価なんて、評価者次第でいくらでも変化する。
評価者が何をもとめているかで、魅せる箇所も変わるのだ。
たとえ実績がなくとも、評価者のポイントをおさえていれば、100点満点にさえ変化する。

「評価されたいのなら、評価しなさい」

と、後輩に伝えてみたが、ふに落ちたかはわからない。彼女が本当にもとめていたアドバイスではないことも知っていたが伝えてみた。いつか思い出してくれるかもしれないから。

私が本当に伝えたかったことがある。
それは、評価は誰にもされるものではない。評価とは自分で向き合うこと、である。

人に評価されて一喜一憂しているようでは甘い。もちろん喜ぶのは素敵なことである。ただし、その評価を徹底的に分析する必要があるのは自分だ。なぜ、そのように言われたのか。なぜ怒られることに繋がったのか。そこを評価して、次につなげていくことが何よりも大事だ。

何事も、しっかりと頭を使って、自分で考えるしか近道はないのだな、と学んだ2年だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?