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「きみの夢を見たよ」と書き出すラブレター 込めた呪いは届かなくていい

もう年単位で連絡も取っていないし声も聞いていない、昔付き合っていた人を夢に見た。
久しぶりに顔を思い出した人の夢は、悲しくもならずにただ優しくて楽しいだけだった。

夢の中の私たちは、付き合いたての高校生みたいだった。恋人繋ぎして照れ笑いしながら、遊園地をずんずんと歩いていた。
夢見ながら夢だと分かるくらいに夢だった。なのに彼の手の大きさと厚さと、生温い温度すら感じた気がしてくすぐったかった。でも私が密かにちょっと好きだった、私の少しへこんだ親指の爪を撫でる癖は出ていなかった。だからやっぱりこれは夢なんだと思った。


彼とは、最初にデートしたのも最後にデートしたのも遊園地だった。遊園地で乗りたいアトラクションの趣味が合う人だった。
お互いジェットコースターが大好きだった。乗りながら平気で「写真撮影スポットはここだ」とか「違う、次のカーブだ」とか叫びながら乗っていた。

だから、夢の中の二人も「次はあれに乗りたいね」「これも良くない?」ってひたすらはしゃいでいた。
いい歳の男女が手を繋いで二人きりで遊んでいたら、どう見ても恋人同士だと思われる。でもそうやって「何して遊ぶ?」とはしゃぐ、いつまでも学生みたいな空気も流れていて、ああそれがすごく好きだったなと思い出した。
どこにも拒否反応を覚えることがないのが楽で、こんな感じで自然に、また誰かを好きになりたかった。


彼の話からは一瞬逸れるのだけど、たぶん私はいわゆる「デミロマンティック」的な性質を持っている。
端的に言うと「強く情緒的に結びついた相手に対してのみ恋愛感情をいだく」恋愛の指向性。こんなのバーナム効果かもしれないし大袈裟だと思っていたけど、肯定したら楽になったのでそう思うことにした。

この「強く情緒的に結びつく」のレベルはピンキリなのだろうけど、私の場合は「友人としての好意ゲージ」が満タンになった後にようやく「恋愛としての好意ゲージ」が出現する感覚だ。
そうやって出現した恋愛ゲージがさらに満タンになったら、やっと恋愛としての好意を受け入れられる。

けれど世の中、だいたいの人は友人としての好意ゲージを装備していない。だから「いくらあなたは友達です」と予防線を張っていようと、そんなものはすっ飛ばして恋愛ゲージが溜まっている人が多い。
だから「これだけ仲いいんだし、あなたも俺を好きなんだよね?」と言う相手と、「違います私そんなテンションじゃないです、あなたを恋愛対象にはまだまだ見られてないですー」という私のすれ違いが起きがちで、未だによく事故っている。


個人的に一番辛いのは、友人として90パーセントくらい大好きな人からそういった告白を受けた時だ。
友人としてはかなり大好きなのに、それでも恋愛ゲージが出現していない。だから、恋愛感情だけは生理的に受け入れられない。

そうなると結果だけ見ればその人を弄んだようになって、そんな自分が猛烈な勢いで嫌いになりそうになる。上手くやれない自分が嫌で、この世界から逃げたくなる。
つまり、そんなことも起こさず最初から異性と純粋な友人関係をマックスまで深めてくれる人って、そういないんだ。寂しいけど。


その、そういない得がたい人が彼だった。
とはいえ私が好きになったのは、あくまでもう今この世界のどこにもいない、あの頃の彼のことだ。
決して「今」の彼を好きなわけではない。そもそも、もうよく知らない。
今現在この世界のどこかを生きている彼は、もう私の知らない人だ。私の特別な友達で大好きだった人に、限りなくよく似た別の人だ。それはよく分かっている。


でも、今思い返しても。ひょろひょろと背が高くて頭だって良いはずのくせにどこか言動が子どもっぽくてかわいい高校生の男の子が、その男の子の私への接し方が。高校生だった私には、すごくすごく胸の奥をくすぐられるようで好きだったなあ。

冷え性の癖に温かいその手を、女の子よりもいい匂いだったシャンプーの香りの髪を、胸に頭を押し付けると伝わってくる速い心音と振動を、感じられるわけのない夢の中でも思い出すくらいには覚えていた。
私の「好き」は立派な恋愛感情ではなかったかもしれないけど、一生懸命恋をしている彼を見ていると、くすぐったくて嬉しいと思った気持ちは嘘じゃなかった。
だから今でも、夢の中で彼と恋人繋ぎをして照れ笑いしていた私を思い出すと、同じようにくすぐったい気持ちになれるのだ。


あの頃の私が、彼と付き合うことにしたのは「君がどんな大人になるか見ていたい、知りたい」と思ったからだった。
それを聞かせてもらえて、知っていられる権利が欲しくて、彼女というポジションをもらった。たぶん昔流行った曲の歌詞にあった、「夢を語るあなたの顔を見つめていたい」みたいなやつだった。

でも同時に「君がいつか大人になって夢を叶えて、いつか話してくれた理想の家庭を築く時には自分は隣にいないだろうな」とも思っていた。だから、同じ夢を見られなかったこと、時間を無駄にさせたことを、ごめんとも謝りたい。
年頃の男の子が彼女に求めるだろうことを、いったい傍にいない私はどれだけ叶えてあげられただろう。そう思うと、申し訳ない気持ちしかない。


それでもこんな私の我が儘で、彼の人生の一番若くて大切な一部分をすこし貰えて嬉しかった。間違いなく幸せだった時間があったから、後悔はしていない。
本当は知らないところで二股掛けられてたとしたって、気付かせずにやっていたならまあもうそれでいい。余所見をしたくなる程度にしか掴めていなかった自分も悪いんだろうし、そもそも時効だからそれも構わない。

追い縋ろうとは思わないし思えない。たぶんもう、今の私と彼は普通以下の友達にしかなれない。
だからもう会わない方がいいんだろうと思うし、会いたいとも思わない。会わないから、ここまでこんなこと考えられるんだろうなとも思う。


でも、君は私の分まで、分かりやすく幸せになってほしいなぁ。
誰もが羨みそうな絵に描いたような幸せを生きて、私のことなんかもう一生思い出さないままで、笑って笑って笑いすぎてしわくちゃになるくらい幸せなおじいちゃんになったらいい。
そうしていつか愛する家族に囲まれて死ぬ時に見る走馬灯の、学生時代の青春の1コマ、フィルム1枚分だけ私を思い出してくれたりしないかな。

その後に数十年分投影されるであろう幸せな映像の濁流で、フィルム1枚ぶんの私のことは砂粒みたいに流して忘れてくれていい。
ただいつか君が「幸せだった」と笑って人生を振り返るその時、最期の最後に、思い出の中で存分に美化した綺麗だった私に会わせてほしい。

そんな呪いを密かにかけている。



何かを感じていただけたなら嬉しいです。おいしいコーヒーをいただきながら、また張り切って記事を書くなどしたいです。