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だから私は歩く!それは一度きりの人生で味わえる奇跡

旅のスタイルは人それぞれ、いろんな楽しみ方があるなーとnoteを始めてから特に感じます。
美味しいものを食べに行くことだったり、久しぶりに友人を尋ねることだったり、名所旧跡を見ることだったり。

そこにはそれぞれの想いがあって「旅が膨らんでいるんだなぁ」と、noterさんの投稿を読みながら「ふむふむ〜」と楽しませてもらっています。

面白いですよね!
人の数だけ旅のスタイルがあり、さまざまな体験を通じて、人生が豊かになっていくって。もちろん大失敗も含めてですが(笑)

そんな私にとっての”旅のこだわり”は、「点」という場所を「線」で繋いでいくことです。

その手段として「歩く」ことなのですが、「歩く」ことは単なる手段とは違うとも思っています。
今日はそのワケをお話ししますね。

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大病をしたとき、最初の手術後立ち上がることすら出来ない私がいました。

これはもう驚愕的なことで、驚きというより悲しみと悔しさで胸がいっぱいになったのです。

癌というのは不思議な病気で、告知される前は全く元気そのもの。
普通に仕事して、遊びも目一杯して、お酒も飲んで(結構お酒好き笑)、ナーンも不自由なく日常生活を営んでいたわけです。

特に身体資本の仕事だったので、スキーにピラティスに、毎日めちゃくちゃ身体を動かしていました。

それが告知されたと思いきや、あれよあれよという間に身体が切り刻まれ(先生、すみません!悪いもの取ってもらえました)、さっきまで元気だったのに、立ち上がることすら痛みとの闘いとなったのです。

以前にもチラッと書きましたが、それは…

オペ後回復室で目覚めたときのことです。
術後のレントゲンを撮りに行くからと「さぁ自分で着替えて歩いて行きますよ」と看護師さんに促されました。

「ええっ!?もう歩くの?」

と不安になりつつ、痛い身体を奮い立たせ、そーっと足を床に降ろしたとたんに、あまりの痛さに貧血を起こしてしまい、再びベッドへ倒れ込んでしまいました。

結局「あらあら普通は歩けますよ〜」と苦笑いされながら、車椅子でレントゲン室まで連れて行ってもらったのです。

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しかし人の身体ってすごいものです。
立ち上がることで一度でも重力を感じることができたなら、次はそんなに辛いことなく地面に足をつけ、踏ん張って両足で立つことができるようになりました。

立つことができると、次は少しずつ歩くことができるようになります。
赤ちゃんと一緒ですよね。
一歩が二歩になり、二歩が十歩になり…

そして歩くことができるようになっていくと、どんどん心も元気になっていったのです。

当たり前ですが、癌と告知されれば死と向き合うので、心が荒みます。
また抗がん剤治療中は、再び外出が制限されたり、お腹が粘土になったように身体が重く歩けなくなったこともありました。

全てがワッハッハではありませんが、「歩くこと」を続けることで、薄皮を剥ぐように少しずつ少しずつ「生きる気力」を取り戻していきました。

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今、私は元気です。

世界の高山へチャレンジしたり、ロングトレイルを歩いたり、自分の足でどんなところへも行けます。

しかしある意味、それは奇跡でもあって。

たった一度っきりの人生の中で、味わえる奇跡を楽しまない手はない!と感じるのです。

「点」と「点」を歩いて繋ぎ「線」を作っていく。
その「線」を彩りあるものにするのは、その土地の気候や風土、文化、歴史など人の暮らしの基盤となるもの。

歩くことはゆっくりです。
その分、いろんなことが五感を通して身体に心に入ってきます。
自然が生み出す音や香りはもちろんのこと、溢れかえる色彩に肌を潤す風、湿度etc.

そして歩くことで心に余裕が生まれ、人との出会いも楽しむことができます。
行く先々に住む人々の暮らしは、千差万別で星の数ほどあることでしょう。
そのさまざまな暮らしには必ずストーリーがあり、それらが地域の風景をつくっています。

歩きながら味わっていると、いつの間にか彩ある線が生まれ、それがまるで立体画のようにイキイキと煌めいて唯一無二の旅になるのを感じます。

そんな人生を送ることができる今に感謝し、これからも時間の許す限り、歩いていきます!

*ヘッダー画像にkidsnacoさんのイラストを使用させていただきました。
ありがとうございます!


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