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憧れの聖地インカ・トレイル①〜トラブル乗り越えエンヤコラ、ペルーは遠いなぁ…

2013年9月、リマからペルーのクスコへ向けた飛行機の中。
一抹の不安を抱えながら、窓の外に広がる初めて見る南米の景色を、ボーッと眺めている私がいました。(全文2,497文字、長いです)

旅の目的は「マチュピチュを目指し、インカ・トレイルを歩くこと」

一体なぜそこへ行くことになったのか?

簡単に説明すると、その前の年に参加した「屋久島縦走ツアー」で様々なアクシデントが発生し、それを乗り越えたことがキッカケでした。
何が起きたのか?は以前noteに書きましたので、よければぜひご一読ください。

さて「インカ・トレイル」とは何ぞや?
と思う方もいると思いますので、まずは簡単に説明しますね。


まずはインカ帝国について。
15世紀にかけてクスコを中心に繁栄した国ですが、最盛期には人口約1,000万人にのぼり、その勢力図はというと、北はコロンビア南部から南はチリの首都・サンチアゴにまで至ります。

その広さは、な、な、なんと!南北およそ5,000kmに渡り、100平方kmを超える面積(日本の約3倍)だそうです。
しかも僅か三代の皇帝によって築き上げられたというから、驚きです。

「では何故インカ族は強大な権力を持つことができたのでしょうか??」

それは国境を接していたチャンカ族との戦いに勝利したことがキッカケでした。
当時、勢力があったチャンカ族を、後の第九皇帝パチャクティ率いるインカ族が、わずかな兵で倒したことで、周辺の部族もどんどんとひれ伏したそうです。

クスコ・アルマス広場の真ん中に立つ「第九皇帝パチャクティ」
この方がマチュピチュを建設したそう


その後、インカ帝国は強大な勢力をもち繁栄していくわけですが、そのためにも「道」が重要な役割だったことは想像がつきます。
軍事や行政のための物資や人の往来、伝令のために飛脚が走るなど、様々な用途のために交通網の形成は欠かせないものでした。
最盛期には東西南北の各地方へ向けて、総延長距離6万キロに及んだといわれています。

しかし、その全てをインカ帝国が建設したのではありません。
それ以前にアンデス全域を支配した唯一の国・ワリが各都市を繋げた道を、インカが受け継ぎ、整備し、新しい道を拡張していったのです。

残念ながら開発や自然環境の影響で多くが消滅してしまっていますが、今もなおインカ帝国が栄華を極めた時代に存在した街道が「インカ道」として、残っています。

その中でクスコ郊外の山岳地帯に現存し、マチュピチュを目指す46kmのトレイルとして整備されているのが「インカ・トレイル」です。

出発地点にある「インカトレイル」の地図
左から右へ歩いていく感じです

ちなみに、マチュピチュに行くには麓のマチュピチュ村まで電車で行くか、徒歩で行く方法しかありません。


さて、本来なら意気揚々とワクワク感に包まれ飛行機に乗っているはずなのに、一抹の不安というのは…

旅には「アクシデントがつきもの」と豪語する私ですが、それにはそれ相応の経験?いや体験があるからでして。

そうなんです。

初めての南米、しかも初の海外トレッキングなのに、ツアーの主催者でありリーダーであるTさんと途中で別れ別れになってしまったのです。

そもそも成田空港での集合から、いや〜な予感が始まりました。

大阪からご参加のお二人が乗る飛行機が台風の影響で遅れ、ギリギリになりそうだと。
しかし、成田から乗る飛行機の出発が遅れたこともあり、なんとか無事に合流することができました。

はい、ここまではセーフです。

が!

この「飛行機が遅れた」というのが、ひとつの起因となったというのをその時点で、全く気づいてない私たちだったのです。

****

南米までは本当に長い旅です。
まずは北米ヒューストンへ行き、トランジットしてペルーの首都・リマへ。リマでは入国手続き後、7時間もの待ち時間を過ごしてクスコへという予定でした。

ヒューストンでのトランジットは、予定では2時間あったので余裕のはず。
しかーし、成田発が1時間も遅れていたんですよね。大抵フライト中にスピードを上げて取り戻すはずなのに、しっかり遅れての到着でした。

アメリカは乗り継ぎでも、税関から何から何までチェックを受けます。
入国審査も大分時間がかかって、みんな焦っていました。それなのに、最後の税関のところで大阪からのAさんが止められてしまい、別室へ連れて行かれてしまったんです。

しばらく待っても出てきません。
乗り継ぎのリマ行きの出発時間は刻々と迫っています。

「とりあえず私を含む女性3名が先に行って、ゲートで事情を話をしてギリギリまで待ってもらってくれ」とリーダの判断となり、私たちは猛ダッシュでゲートへと向かいました。

汗をかきかきゲートに到着し、係の人に事情を話しました。
しかし「10分まで待つけど、その後はダメ」と連れない言葉(仕方ないけど)。
「もし乗れなかったらどうなるの?」と聞くと、「リマへ行く便は翌日の同じ時間しかない」と。

なんだかんだと時間を稼ぎましたが、結局、リーダーと大阪のAさんはゲートに現れず…
当時はWiFiも完備されていない時代ですから、もちろん連絡は取れません。

男性参加者のIさんの判断で「とりあえず荷物は飛行機に乗ってしまっているし、先に行って、なんとかしましょう」となり、飛行機に乗り込みました。

その時の私の心境はというと…
「おいおい、いきなりバラバラかい。この先どうなるんだーい」

****

不安を抱えながら到着したリマは真夜中。
最大の難関は先についた4名で6名分の荷物をピックアップして、入国し、再度チェックインしなくてはならないということ。

ところがどっこい、Iさんは凄い方でして。
なんとスターアライアンスのゴールドカードを持っていたので、難なくクリアできたのです!ふぅ〜〜〜〜

そして7時間の待ち時間。
ちょこっとだけ安心した私は、「ペルーに来たらこれ飲まなきゃ」ということでINKA COLAをググッと飲み、おせんべでお腹を満たして、持参したシェラフに包まれ待合室の床の上で寝ることとなりました。

KOLAなのに黄色の液体!
予想(何の??)に反して意外と美味しかったです(笑)



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