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お別れを言うには好き過ぎるカナダと猫

ラーメンだけがお別れの合図では無いと思う、福岡出身のワカナです。
と言うのも、
出逢いはいつもお別れを含んでいるから。

でも前向きなタイトルにしたのは、“お別れが悲しいと思うほどの出逢い”に感謝しているからです。

私と猫のエトセトラ

今回、 #猫のいるしあわせ というテーマで書いてみています。
カナダのトロント時間ではまだニャンニャンニャンの日!間に合いました。

うちには7歳になる猫がいて、この子のいない生活なんて考えられないくらい、彼は大切な家族。

でも実は昔は断然犬派で、猫とは関わる機会もあまり無く…。
実家の近所をウロウロしてるとか、友達が飼っててもあんまりなつかないというイメージでした。

カナダに来た年に興味本位でキャットシッターもしましたが、今思えば大の猫好きでは無かったことで、お別れもそこまで辛く無かったのは良かったのかも。

猫は
見た目可愛いけど、犬ほどに愛想が無い。
何考えてるかよく分からない。
自由を愛し、ワガママに生きている。

お互い、「あ、どうも」と挨拶して後は特に馴れ合うことも無い関係でした。

猫好きの夫に会うまでは。

夫の家族は常に猫と暮らしている無類の猫好き。特にシャム猫を好むお宅で、出会った頃にも2頭種類の異なるシャム猫がいました。
(時を経て今はどちらも虹の橋のたもとへ旅立ってしまっています。)

ここのお家の猫(1頭だけ)はなぜだかなついてくれて、「あれ?猫も可愛いかも…」と思うように。
これまで未知だった猫の習性も知りました。
人の太ももの上で脚をフミフミしながらゴロゴロするなんて、ノーアイデアでした。

そして、そういう可愛いところは特定の人にしか見せない、八方美人じゃないのが猫の良いところなのだと気づきました。

これが正真正銘のツンデレ
側からでは分からなかったわけです。

息子のような存在の猫

夫と婚約した年にうちに来たシャム猫の仔猫

猫の中でもシャム猫は独占欲が強く、家族の中でお気に入りの人間(猫にとっては“大きい猫”なんだそう)を1人選ぶらしく。
彼にとっては私が特別な存在になったようでした。

夜は私の髪や耳をハミハミしながら眠りにつき(仔猫の頃だけでもうしなくなったなぁ…)、
明け方にはサイドテーブルの物を落として私を起こし、
起きたらゴロゴロ言いながら抱きつき、
昼は私の足の上に頭を載せて眠り、
夕方仕事から帰って来たらお迎えにやって来て甘え、
毎晩シャワー中に必ず入ってきてびしょびしょになる。

彼は私をママとは思って無いかもしれないけど(おそらく下僕です)、私にとっては息子のような存在となりました。
日本への一時帰国などで数週間離れる時は夢に出てくるほど愛おしい。
あったかい全身モフモフもたまりません。

でも悲しいかな、この日々はいつか終わってしまうんですよね…。
だからこそ、月並みな言葉だけど、一瞬一瞬を大事にして、さいごまで精一杯の愛情を注ぎたいと思うのです。

留学中の恋愛も期間限定だからハマる?

何度かお話してますが、今現在はカナダに移民している私も、最初はワーキングホリデーを利用して渡航しました。

若干黒歴史なのでサラッと話すと、
1年で帰るけどこれも経験!くらいのノリでこっちの人とデートしたりしてました。

「私数ヶ月後には日本帰るんだよね〜」
「だねー。帰ったら何するのー?」
的な会話も普通(笑)。

気持ちいいくらい、最初からお別れが含まれていました。

私自身は結局カナダ滞在を延ばすことになったけれど、逆にその彼は日本へ半年ほど行くことが決まっていました。

お別れが来ることは承知の上でも、そこは人間、簡単に割り切れないもので後半は辛かったですね。

別れた後もちょっと引きずってました。
あり得ない遠距離恋愛とか、再会したら今度はちゃんと付き合いたいとか、考えたりもしましたね〜。

そして約1年後にその彼がカナダに戻って来た後は、友達として半年に1度くらいお茶したりしてました。

少しずつ疎遠になり、もう1年以上話して無かったある日、What‘s new?とメールが来て。
「一緒に住んでる彼と仔猫を育ててる」って返事をしたら、それっきり連絡が来なくなりました。

海外ドラマとかでもよく出てくるけど、動物を一緒に育てるとは、シリアスリレーションシップの始まりってこと。
これから長期間、責任を持って命あるものを一緒に育てていく覚悟を決めたということですよね。

つまり、“万が一”や“あわよくば”はもう無い、と判断されたのでしょう(笑)。

カナダも期間限定のはずだった

カナダ渡航も期間限定の予定で、これも明らかに最初からお別れを含む人生の一大イベントでした。

でも結局、私はカナダにはお別れを言うことが出来なかったのです。

日本は私の祖国であり、私が日本人であることはカナダ移民になっても変わりません。
31歳になるまで過ごしてきて、家族も友達もいて思い出も沢山あって。
例え肉体が離れていても、日本とお別れするということは絶対に無いんです。

だけど、カナダは離れたらホントにもうお別れになるなぁと。
離れたらもう戻って来ることは無く、カナダにいた私の話もいつか自分史の中に埋もれてしまうのではないかと。
それじゃあ寂しい、そう感じて出られなくなってしまいました。

説明が難しいのですが、カナダとの関係を終わりにしたく無かったのです。

それから、夫や猫との出逢いもあり、友達やお気に入りの場所も増え、私をカナダに繋ぎ止める碇が年々重くなっている感じです。

お別れを自力で食い止めています。

出逢いはいつもお別れを含んでいる

大事なことなのでもう1度言います。

そう考えるとたまに泣きたくなったりします。

でもどうしたってお別れは来てしまうので、その時に後悔しないように過ごすしか出来ることはないんですよね。

きっと、出逢えた喜びの方がお別れの悲しみより大きければ幸せ

全ての出逢いに感謝して、お別れの時には「ありがとう」と言いたい。
そう思います。


思った以上に長い文章になってビックリ…!
脈絡の無いお話に最後までお付き合い頂きありがとうございました。

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