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「誰のせいでも無い」を知ること




今日は おさーんの過去ツイートから◎
(応諾って聞き入れるとか、かしこまりましたー!みたいな意味だよ)


私は当時このツイートを引用して↓こうツイートしました

私はよく謝らなくていいと、おさーんに言われるのだけど
なんでもかんでも私が悪い原因だと自覚が無いままだったから謝らなくていい理由もわからなかったし、今でも受け入れられ無い時もある。
けれど、なんのせいでもない、を受け入れられる大切さをちょっと知りました 


これが2020年の4月なんだけど最近(2020年12月)やっと、なんでもかんでもごめんなさいって言わなくなってきたかな?って思う、やっとね。笑


過去のnoteでも書いてたんだけど

私はよくおさーんとのやりとりで「ごめんなさい」って言うんだけど、それに対して
「謝ることじゃないよ」って返ってくる
どういうことかというと
「私の中では」私に原因があり、私のせいでそうなった→私が全て悪いです→ごめんなさい
なんだけど一般的(おさーんからすると)には
しゅりにも・おさーんにもどうしようもないこと、誰のせいでもないこと誰も悪くない→謝ることじゃないよ
となるんだけど、この「自分が悪くない、何も自分に非がない」っていう「誰のせいでもない」ある種の宙ぶらりんな落とし所を私は今まで知らない世界に生きてきちゃったから、そんな選択肢があることすら知りもしなかったし知らないんだから考えつくはずもない。
そういう宙ぶらりんもあるとかっていう選択肢を知ったり、それを言われなきゃ気付けない思い出せない、じゃなくて自分からも引き出せる気付ける見出せるようには多少、ほんと多少は慣れてき始めてると思う。


申し訳ないからって何か理由や落とし所を見つけることによって不安感を緩和したくて自分自身を無自覚に蹴落として、私が謝れば丸く収まる、私が全部背負えば終わるって頭になるからそうしちゃうんだろうけど、そうする自分自身にだってキャパシティがあって無理をしてる苦しみっていう感覚があって、それは何も悪いことじゃないのに、自分の自分に対するSOSすら無視して周りの顔色ばかりみて、爆発して病んでいくんじゃそりゃ周りも助けきれない。

そうやって背負おうのは自分だけのせいではもちろん無い場合もあるし、過去がそうさせたとか周りからの威圧とかね。

だけど助けてくれる、ひとりでがんばらなくてもいい方法もあるってことは多少自分のいっぱいいっぱいなのを認めて、ゆるめて、知っていかないと本当におかしくなっちゃうし、それはかなしいよ。


1日お疲れ様でした




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