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プラスチックは人類がつくった唯一の素材だからこそ、人類でどうにかしたい

祖父はプラスチック研究者、父はプラスチック成形工場の経営者という家庭に生まれた林さん。林さん自身も2004年にプラスチック商品の製造メーカーを創業する傍ら、海洋プラスチックゴミ問題を解決すべく、海洋プラスチックゴミを使った工芸品ブランドbuoyを2019年に立ち上げました。
プラスチックを愛しているからこそ、プラスチックの素材特性を生かした新しい使い方があるという林さんに、現在のご活動や海洋プラスチックゴミ問題に興味を持ったきっかけ、これからプラスチックとどう向き合っていきたいか、お話しを伺いました。

時代に振り回されず、好きなプラスチックを事業にしたい

ー 林さんが創業された株式会社テクノラボではどのような事業を進めていますか?

株式会社テクノラボは、プラスチック商品をつくるときの企画からデザイン、成型から組み立てまで一環してサポートするという事業を手掛けています。
現在は横浜に会社がありますが、私の実家は千葉にあり、昔はそこで父がプラスチックの成型工場を営んでいました。
大学3年生のときから父の工場の手伝いをし、卒業後はそのまま就職へ。しかしながら働き始めて数年目に大型の設備投資をしたところで導光板の需要が急減。父親の会社は潰れてしまいまして、急ぎ近所のネットベンチャーの立ち上げに関わり、勤め人になりました。他方で勤め人が向かなかったこともあり、2004年に株式会社テクノラボを創業して独立した次第です。
創業当初は中京地区にある大手自動車メーカーの下請け仕事が確保できたのですが、結局は父の会社の導光板と同じように受注がなくなり、経営が振り回されてしまいました。そこで、元々好きだったプラスチックを扱いながらも、下請けではなく企画からデザイン、製造まで一環して行う会社になろうと経営の方向性を変えるようになりました。

プラスチック素材をベースに様々な技術ノウハウを有するテクノラボさん

海洋ゴミ問題を通じて新しい文化を

ー 環境問題、特に海洋プラスチックゴミ問題を意識したきっかけは何だったのでしょうか?

時代の流れに振り回される中で、プラスチック企業としての”付加価値”を考え始めたのがきっかけでした。
1990年代に中国で組み立てや製造が行われるようになり、多くの仕事が中国に流れ、そこから圧倒的なスピードで技術をつけはじめ、あるタイミングで中国は下請けから競合へ、そして2000年代中頃には中国に仕事の軸が移っていく流れを目の当たりにしました。
やがて中国でも景気が減速するようになりましたが、中国よりも製造余力がある日本では、景気が衰退しても大量製造を続けたことで、ダンピングに近い値段で商品が出回るようになりました。その上、大量に安い中国製のモノも入るようになり、100円ショップも増え、プラスチック製品は安く買うのが当たり前、となったのではないかと見ています。
何でも安くなる中で、自分たちが最低限認められるような付加価値はどこにあるのだろう?と、”付加価値”探しをするようになりました。
ひとえにプラスチックと言ってもたくさんの種類があるのですが、それぞれの種類を混ぜて製品を作ることはされていませんでした。そこで、様々な種類のプラスチックを混ぜて何かできないか、と考えていた際に出逢ったのが海洋ゴミ問題でした。
海洋ゴミは多くのプラスチックが混じり合って漂着していて、再生が出来ない厄介者として扱われていました。この厄介者たちを、逆転の発想で何かできないか考え始めまして、まずは実際に海洋ゴミを分析しにいこう!と離島へ行くようになったのですが、そこで目の当たりにしたのはあり得ない量のプラスチックゴミが漂着していた海岸でした。

離島の漂着ゴミの様子

自分たちは、付加価値を追求してプラスチック製品を作ってきましたが、よくよく考えてみると、プラスチックの多くが付加価値など関係ない不要物=ゴミになっていることに気づきました。
”付加価値”という自分たちの都合から出発したのですが、そのうち海洋プラスチックゴミ自体をどうにかできないか、と本気で考えるようになり、2020年にbuoyというブランドを立ち上げることになったのです。
大それた考えですが、ゴミとして捨てられていたプラスチックを、もう一度人々がほしいと思って貰えるものに生まれ変わらせる文化を作りたかったのです

林さんの想いがつめこまれた海洋ゴミブランド buoy

ー buoyの特徴は何でしょうか?

buoyの特徴はゴミの特徴を残した美観もありますが、本質はその仕組みにあります。
まず、海洋ゴミを拾ってきた人たちからゴミを買い取って製品を作ります。
作った製品にはゴミが拾われた産地を貼っており、購入した人たちに「こんなところでごみが拾われているのか」とその地域を応援したくなるような仕掛けを施しています。
最終的には、ゴミ漂着地域に住んでいる方たち自らがブランド作りや販売に携わることで、例えば対馬や石垣島といったそれぞれの地域を支援したい人と購入する地域内外での人の繋がりが生まれ、ゴミ拾いという行為が自発的にどんどん増えていくことと関係人口づくりが同時にできるようなことを考えています。
また、ゴミを再生するには新しい素材からつくるより手間とコストがかかるのですが、逆に「ビンテージ素材で価値があるモノ」と認識を改めて購入していただく、そうした新しい価値観が社会に根付くことも目指しています。
海洋プラスチックゴミを”資源”として拾い、地場の美味しい魚介を食べ、きれいになった海で海水浴をする。プラスチックゴミを起点に人が集まり、地域の産業のみならず、地域内外の繋がり作りなどにも貢献できればと思っています。

拾った海洋プラスチックゴミを色分け

ー 林さんは、これからプラスチック問題とどう向き合っていきたいでしょうか?

僕はプラスチックが大好きなんです。
なぜならプラスチックは素材の中で唯一、人間が自分たちでつくった素材だからです。良くも悪くも自分たちが作った素材だからこそ、自分たちで何とかすべきだと思っています。
人間って色んな悪さをしてしょうもない生き物ですけど、人間である以上人間の叡智を信じるしかないですよね。プラスチックって、ある種人間の叡智の結晶でもあるのです。もしそれが地球に何か悪さをしているならば、自分たちはそれ以上の叡智でよくする方向に改善しなくては、と思っています。
今までプラスチックは必要以上に使われ過ぎていたので、将来的にはもっと少なくて良いと思っています。鉄には鉄のいいところがあるように、それぞれの素材に良い面と悪い面があります。なのでプラスチックも腐りづらい1つの素材として長く、愛着をもって使ってもらいたいのです。buoyはそうした新しいプラスチックの使い方を伝える活動でもあると思っています。
私ももう結構な歳なので、次の世代へのバトンタッチを考えなくてはいけません。私らの世代が今こういうことをしないと、次の時代の人たちは胸を張ってプラスチックに関われないと思っています
そして最後には、みなさんにプラスチックを好きになってもらいたいなと思っています。

取材を終えて

取材中に何度も、「僕はプラスチックを愛している。プラスチックを好きになってほしい」と優しい目をしてコメントされていた林さん。
海洋プラスチックゴミ問題が取り上げられるようになり、プラスチックレスや代替プラスチックの動きも加速していますが、ラップを使うことで食品保存ができて結果的に食品ロスを減らすことができたり、医療機器に使われ人の生活に役立っていたりと、私たちは確かにプラスチックの恩恵も受けてきました。現在のプラスチックゴミ問題は、使われるその”量”だけが問題なのではなく、私たちの”使い方”にも問題があるのかもしれません。
その上で、私たちには環境負荷も最小限にした新しいプラスチックとの付き合い方を探求していけたらと思いました。
みなさんは海ゴミやプラスチック問題、どう感じますか?

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