プロレス=ディズニーランド理論 バブル時代と成長

プロレスはディズニーランドである。

いつもご贔屓にありがとうございます。
読者の多くは女子中高生の方々が多いことと存じますが、ごく稀に竹下幸之介や拳王などのあまり馴染みのないプロレスラーの名前が出てきます。

プロレスとディズニーランドを語る上でプロレスラーの名前を出すことは必須となりますでご了承いただけると幸いです。

バブル期と共に成長している

もはや共通点かどうか怪しくなってきました。ごめんね飯伏。

今回は日本におけるディズニーランド、つまり東京ディズニーランドと日本におけるプロレス団体に絞って話します。

両者ともバブル期に基礎が出来上がったというのが今回の共通点です。

さて、ここで歴史の話をしましょう。

まずは東京ディズニーランド。開園は1983年。今年で39周年となります。

一方でプロレスは、全日本プロレスと新日本プロレスが創立が1972年。前身の日本プロレスは1953年ですね。現存する団体となると、そこから90年代まで飛んで、パンクラスやDDT、みちのくプロレスなどが続きます。
80年代にはUWFインターやFMWが創立しておりますが、現存はしておりません。

一般的に日本におけるバブル時代は1985-1991年ごろです。
この約6年で日本のプロレス団体とディズニーランドの基礎が出来上がったのです。

まずはディズニーランド。バブル期に東京ディズニーランドはパークを代表するアトラクションが続々とオープンしています。

ウェスタンランドのジェットコースター「ビッグサンダー・マウンテン」(1987年オープン)。
そして、トゥモローランドのスターウォーズをテーマとした「スター・ツアーズ」(1989年オープン)。
最後に、クリッターカントリーのボート型絶叫アトラクション「スプラッシュ・マウンテン」(1992年オープン)

いわゆる三大マウンテンのうち二つがバブル期にオープンしています。スターツアーズについても、一度大幅なリメイクが行われており、その人気度が伺えます。

他にも、シンデレラ城ミステリーツアー(メダルが貰えた。楽しかったよね、、雰囲気怖いけど。。)やキャプテンEOがオープンしています。

アトラクションではありませんが、エレクトリカルパレードも1985年からです。
これらのことからもバブル期で昨今の東京ディズニーランドの基礎が形成されていることがわかります。

次回は新日本プロレス、全日本プロレスの両面から、バブル期のプロレス団体で何が起きたのか、そこからディズニーランドとの共通点を見出します。

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