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道徳の授業の思い出

皆さん明けましておめでとうございます。今回のテーマは新年一発目に相応しい、かどうかは分かりませんが「道徳の授業」です。


道徳の授業は思想教育か?

道徳の授業は1958年に始まったようだが、2018年からは全国の小学校で「特別の教科」と位置付けられ道徳の教科化が行われた(中学校は2019年から)。ニュースになりSNSなどでも騒がれたのでご記憶の方も多いと思うが、一部では「思想教育ではないか?」との声も聞かれた。教育の場を利用して政府が将来の有権者たちを洗脳しているというのだ。

確かに政府や教員たちが自身の価値観を一方的に生徒に押し付けるのは好ましいことではない。道徳には明確な答えがあるわけではないにもかかわらず、自身の思想に沿った「模範解答」を用意してそれに誘導するのは避けるべきだ。あくまで生徒たちに自由に考えさせ議論させるべきだろう。

道徳の授業ではないが、社会科の時間に教師が(たしか東郷平八郎か誰かの写真を指して)「こんな勲章をたくさんつけた人間が教科書に出てくるべきじゃない」と言ってるのを聞いて「そんなこと言ったら教科書から大半の人間が消えるじゃないか」と疑問に思ったのを今でも覚えている。

彼は個人的な見解を述べただけであり、この件を指して思想教育だの洗脳だのと騒ぎ立てるつもりはない。しかしながら、教師は生徒達に対して絶対的な権力を持っており、それは教育に必要であるにせよ取り扱いには十分気をつけるべきだろう。価値観の押し付けに繋がり得るは道徳の授業に限ったことではないのだ。

そもそも道徳の授業は必要なのかと訝る向きもあるかもしれない。しかしアダム・スミスは道徳哲学の教師であり、フリードリヒ・ハイエクは倫理学者でもあったことを考えると、経済学の巨人たちがその意見に同意することはないだろう。経済と道徳はしばしば密接な関係にあるのだ(モラルハザードという言葉を一度は聞いたことがあるのではないだろうか?)。

社会に出て役立つであろう会計やプログラミングなどを差し置いてまでやるべきなのかと言われると確かに疑問ではある。ただ一つ言えるのは思想教育や洗脳などではないということだ。少なくとも私はそんなもの受けた覚えはない。親友と喧嘩したけど仲直りした話のように、思想教育というよりは情操教育と呼ぶべきだろう。

ひったくり現場に居合わせた少年達が犯人を追いかけたら、相手がナイフを持っていて刺されて亡くなったという実際にあった事件を題材にしたりと、中学ではもう少し高級な内容を扱うようになった。正直テストに関係ないのでリラックスタイムのような扱いを受けており、かく言う私も例外ではなかったが、今になって考えるとなかなか面白い事をしてたなと思う。その中でも特に印象に残っているものを一つ紹介したい。古典単語の活用などは綺麗さっぱり忘れてしまったが、この話だけははっきりと覚えている。

満員電車での出来事

何かの漫画が題材だった。満員電車内で主人公と思しき人物が座れずに立っているお婆さんを見つけた。そこで近くの座席に座っていたサラリーマン風の中年男性にお婆さんのために席を譲るようにお願いする。しかし意外や意外、なんと中年男性はその依頼を拒否する。

その男性曰く、自分は座席を確保するため始発駅で何十分も並んでおり、なぜその自分が席を譲らなくてはいけないのかとのこと。その態度に腹を立てた主人公はつい熱くなり口論に発展してしまう。そしてお婆さんに「もういいですから止めてください」と言われて話は終わる。

授業で意見を発表していた子たちは皆座席を譲らなかったおじさんに非難轟々だったが、私はおじさんの言い分にも一理あるなと思った。身勝手な正義感に取り憑かれ、相手の事情など一顧だにせず独善的な振る舞いに走った挙句、お婆さんにまで迷惑をかけた主人公にこそ疑問を感じた。

今にして思うとこの授業で抱いた感想は、軽薄な正義を振りかざして暴走する現在の活動家たちに感じる嫌悪感と何らかの関係があるのかもしれない。「それこそ道徳が思想教育である証左だ」と思われるかもしれないが、それは恐らく違うと思う。

私は元々かなり捻くれた見方をする人間だった。例えば忠臣蔵について「あれは現代で言えば、タバコを吸って怒られた生徒が逆ギレして教師を殴って退学になり、生徒の両親が『息子の仇!』と入院中の教師を殺しに行くようなもので、それを美しき親子愛を描いた傑作だと褒めそやすなんて狂気の沙汰だ」などと言ってしまう性根の曲った残念な人間だったのだ。

元々そのような考え方の持ち主だったからあの授業で前述のような感想を抱いたのであり、あの授業によってそんな性格になったのではない。つまり結果であって因果ではないのだ。私は気が弱いたちなので、おじさんの立場なら本当はそうしたくなくても渋々譲ってしまうだろう。批判を恐れず自分の意思を貫いた中年男性にある種の憧れを感じたのかもしれない。

逆に全く同じ理由から、困っていそうなお婆さんのために行動した主人公を称賛する人もいると思う。それは決して間違いではない。既に述べたように道徳の授業に明確な答えは存在しない。強いて言うならばあなたが抱いた率直な感想、それこそが答えだ。

道徳の授業の終わりには感想や学んだ事を書かされたものだ。あなたはこの話に一体何を感じ、どんな教訓を得ただろうか?あなたは席を譲るように頼んだ人物とそれを拒否した人物とどちらに共感できただろうか?あなたが前者や後者ならどう行動しただろうか?あなたの「答え」をお聞かせ願いたい。

恥ずかしながらコロナ禍で家計が厳しいため、少しでもご支援いただけると幸甚です。