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往年の名作ゲームの良さが分からない子供たちに伝えたいこと

皆さんは子供時代どんな遊びをしていたでしょうか?私はよく友達と一緒に64やPS2のゲームをプレイしてました。今回はそんな当時遊んだゲームについてのお話です。

現在の子供たちからの低評価

以前某匿名掲示板で「時オカつまらなかった。ウィッチャー3の方が面白い」という趣旨のスレッドを見かけた。

時オカとは「ゼルダの伝説 時のオカリナ」という1998年に発売されたアクションゲームのこと(ウィッチャー3は2015年発売)。国内外で様々な賞を受賞した傑作であり、私と同世代の人たちにはよい思い出のある馴染み深いゲームではないだろうか?

そんな名作が否定されたとあっては論争が起きないはずがなく、案の定スレッドはかなり荒れていたと記憶している(中にはかなり大人げない書き込みも散見された)。

時オカを低評価した人物は書き込み内容からおそらく子供だったと思われるが、なぜこのような現象が起きたのだろうか?

古典的名作はつまらない?

ゲームに限らず映画や文学などにおける古典的名作は今の基準からすると大して面白くないというのは珍しいことではないと思う。内容は陳腐だし映像も綺麗ではない。特にゲームの場合は技術の進歩が著しいため、一層そのように感じられるのであろう。

かく言う私にも同様の経験がある。スターウォーズ エピソード4を観たときは、特撮が古臭くチャンバラもあまりないことにがっかりした。自分にとって初めてのスターウォーズシリーズであるエピソード1の方が映像がリアルで迫力があり、よほど面白く感じられた。

しかし父に聞いてみたところ、エピソード4も当時の最先端の技術で撮影されており、リアルタイムで観たときはその迫力に圧倒されたそうだ。名作の真の面白さを味わうには、同時代性が必要なのだ。

古典的名作の歴史的意義

今となっては特に面白い訳ではない往年の名作には何の価値も無いのかと言えばそうではない。

内容が陳腐に感じられるのは後続のクリエイターたちがこぞって真似して使い古されたからであり、いかに影響力があったかを示している。むしろ一度も見たことが無いはずの作品がべたに感じられるのは名作であることの証なのだ。

たしかに技術的に現代より劣っているために、どうしても古臭く感じられる部分はあると思う。その点、そうした短所すらシンプルさという長所に変えてしまい、時代を超えて老若男女問わず愛されているテトリスは間違いなく傑作だと言えるだろう。

もちろん、テトリスの方が時のオカリナやウィッチャー3よりも優れていると言いたい訳ではない。しかし、落ち物ゲームというジャンルを確立したテトリスの功績は称賛に値するだろう。ローグライクゲームの元祖であるローグや、FPSの先駆けであるWolfenstein 3DやDOOMについても同様である。こうした作品はゲーム史に燦然と輝く偉大な傑作なのだ。

時のオカリナも今でこそグラフィックは荒削りでマップも狭いし、システム面でも不親切な点があるかもしれない。しかし、当時は真逆の評価で迎えられた。まだまだ3Dゲーム黎明期だった当時、「Z注目システム」はまさしく革命であり、その後の3Dゲームの発展を語る上で欠かせない存在である。

もう15年以上昔の話であるにもかかわらず、初めて時のオカリナをプレイした時の感動を今でも鮮明に覚えている。ハイラル平原に出ると軽快なBGMとともに広大なマップが広がり、行くあても無くただ徘徊してるだけでワクワクした。

これは所謂「思い出補正」というやつだろうが、今後時のオカリナ以上に感動させられる作品と出会うことはないだろう。

伝統は守るものではなく超えるもの

これまで往年の名作にも価値はあると述べてきたが、別にそれらを今さらプレイすべきだとか、その規範から逸脱するなと言いたいのではない。むしろそれらに積極的に挑戦して打ち負かしてほしいと思っている。

世の中には伝統を守るべきだと言う人達もいるが、私はそうした意見には賛同できない。伝統とはボクシングのチャンピオンのようなものだと思う。その時々で最も強いものが授かる称号であり、永遠にその座に居られる訳ではない。

チャンピオンが尊敬されるのは誰よりも強いからであり、レフリーに有利な判定を取ってもらわなければ勝てないようなら誰からの尊敬も得られない。チャンピオンたるもの、たとえ不利な判定を取られたとしても圧倒的な力で挑戦者をねじ伏せなければならないのだ。

守らなければ壊れてしまうような伝統など、もはや伝統たる資格はない。さっさとベルトを挑戦者に譲って引退すべきだ。

たとえ今の伝統が壊れても、新たな伝統が築かれるだけのこと。現に今ある伝統だって古い伝統の残骸の上に立っている。それが今後も繰り返されていくだけの話にすぎないのだ。

自分の憧れのヒーローが挑戦者に敗れ去り、引退していく様を見るのは辛いものだ。実際私も子供時代好きだった作品が現在の子供に否定されて一抹の寂しさを覚えた。

しかし、その反面どこか嬉しくもあった。それはきっとゲームが進歩し続けていることを知れたからだと思う。むしろ未だに時のオカリナより優れた作品が存在していないとすれば、ゲーム業界は怠慢の誹りを免れないだろう。

今後もゲームが進歩を続けるのであれば、私が時のオカリナの良さが分からない子供に出会ったように、彼らもやがてウィッチャー3の魅力が理解できない子供たちに出会うことだろう。

その時はムッとすることもあるかもしれないが、怒ったりせずに当時からの進歩は認めた上で、ウィッチャー3のゲーム史における意義や当時の自分をどれほど感動させたかを語ってあげてほしい。

どんなに強いチャンピオンもいつかは引退する時がやって来る。だが挑戦者が自分よりしっかりしていると確信できれば安心して引退できるというものだろう。時のオカリナはどうやらその幸運に恵まれたようだ。

これまで王座を立派に勤め上げた先代に労いの拍手を送るとともに、新たな時代のチャンピオンの誕生を祝福したい。



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