見出し画像

身体障害者手帳交付への道のり〜50歳脳卒中で片麻痺リハビリ中〜

2022年7月6日49歳の時に脳卒中で倒れ、1週間後めでたく50歳に。
後遺症で右片麻痺になり7ヶ月のリハビリ入院。12月25日から手のリハビリも兼ねてnoteをはじめ、2003年2月10日に退院。現在は通所リハビリ継続中。これまでの経緯と入院闘病記はこちら↓

障害者手帳の申請を勧められる

遡ること約2ヶ月前。「障害者手帳の申請ってしました?」とリハビリ中ふいに聞かれた。えっ、障害者手帳?そうかわたし障害者になったのか。
この時点で入院し半年近く経っていたので、自分が障害者である(この時点でまだ正式に認められていないけど)ことにショックはなくて、手帳の申請も全く抵抗はなかった。逆にメリットがあるなら、手帳でもなんでももらっておきたい。

「うーん、今の状態で後遺症がどの程度認められるかわからないけど…。一応申請しておいた方がいいですよ。」と言われ、障害者手帳が一体どういう物なのかもよくわからなかったので、申請方法などスマホで調べてみた。

余談だけど、障害者手帳など今まで無縁だった制度だし、そういった知識は全くなく、入院して初めて知ることばかりなわけで。健康保険の限度額適用認定くらいは知っていたが、介護保険とか障害者手帳とか…まるでわからないしチンプンカンプンだ。

そもそもそういう情報を誰に聞けばいいのかすらわかっていなかったので(後にソーシャルワーカーという人だと知る)、いつどこに何の手続きをすればいいのか、そもそも入院している本人はできないので誰かに頼まないといけないことなど、知れば知るほどモヤモヤしたものだ。

わたしなんかはまだ自分で情報を取りにいけるし、代わりに申請してくれる家族がいたりするのでいいが、ネットで検索することができない人や独居で頼れる身内もいない人などとても困ると思う。

身体障害者診断書・意見書を書いてもらう

まずは主治医に障害者手帳を申請したいことを相談。「身体障害者診断書・意見書」という用紙を区役所の障害福祉担当窓口にもらいに行ってくださいと言われたので、母に頼み取得してもらった。

その用紙を受け取り、今度は病院の文書受付窓口へ。主治医(「身体障害者福祉法第15条の指定」を受けている医師)へ診断書・意見書の作成を依頼する。窓口から主治医にその書類が回ってきて、ようやく診断を受けることができる。

先生が改めて病室に来て、手脚がどこまで動かすことが可能かを確認をする。例えば腕を肩までまっすぐ上げることができるかとか、指をグーパーできるかなど、動きが「できるかできないか」の判定だけならほとんどの項目が「できる」になってしまう。

ただ「動く」のと「使える」のは違うのになぁ、といつも思う。指は動く。グーパーもできる。でも鉛筆をきちんとは持てない。従って文字も思うように書けない。「文字を書く」という目的に対して、わたしの右手は役割を果たしていないので「使えない」。でも手も指も「動く」のだ。

ちなみに障害を負ったのが利き手なのかそうじゃないのかも大きい。利き手が思うように動かないと、日常的に困る場面は多い。しかしそういうことは考慮されていないようで、手帳の交付は無理かもしれないと思った。

申請書提出のため再び区役所へ

診断書は、出来上がったら再び文書受付窓口から連絡がくる。「携帯にお電話します」って…ここに入院中なんですけど。ナースステーションに言付けてもらうのではダメなのですか?と聞くも、できないと言う。なぜ?なぞ…。

案の定リハビリ中に文章受付窓口から着信。そうリハビリ科の患者は1日のうち多くの時間はリハビリで病室に不在なのだ。ようやく診断書が出来上がり、母にまた区役所まで行ってもらい申請してもらった。

ちなみに申請には本人の写真(縦4センチ×横3センチ、上半身で脱帽)が必要だ。自己作成でも可だが、写真用紙を使用とのことで、これは娘にデータを送りコンビニで証明写真プリントでプリントアウトしてもらった。
便利な世の中ではあるが、これだけの作業を高齢者の人が自分で行うのは難しいよね。

障害者手帳を申請しようと思ってから、この時点ですでに1ヶ月近くが経過。東京都の審査には1ヶ月ほどかかるとのこと。もうすぐ退院も近い。認定の可否については退院後になるだろう。

手帳交付決定の通知文が送られてくる

何せいつも通り「行ってきまーす」とうちを出て、そのまま戻れず7ヶ月も入院していたもので、退院後はバタバタとした生活を送っていた。障害者手帳のことなんかすっかり忘れていた頃、区役所から一通の封筒が届く。身体障害者手帳交付決定のお知らせだった。

もしかしたら無理かも…と思っていたので、交付決定の知らせには正直安堵した。認定された等級は6級。等級として一応7級からあるが、手帳交付は6級から。7級の障害が1つでは手帳は交付されず、2つあれば6級となる。

手は握力が左の半分ほどしかなく動くが日常生活には支障があること、脚は装具と杖を使用しての歩行で、上肢下肢それぞれ7級が認められ、合わせて6級となった。

通知書が来てすぐ、区役所へ手帳をもらいに行った。

等級によって支援やサポートは異なる

障害者手帳は市区町村が窓口になっているが、各都道府県が発行するもので、支援やサポート内容については都道府県によって異なる。認定される等級によっても異なり、区役所に手帳をもらいにいった時にサポートに関するそこそこ厚みのある冊子をもらった。

肢体不自由の中でもどの部位にどんな障害があるのかで等級が分かれており、それによって受けられる支援が違うため、自分がどこに当てはまるのかの早見表が冒頭にあり、それぞれの支援について説明や手続きが書いてある。

6級で受けられる支援は正直そう多くないので、冊子のほんの数ページしか当てはまらないが、窓口で冊子の見方と当てはまる支援について説明を受け、手帳をもらって帰宅した。

手帳という名前から「手帳」型のものを想像していたが、実際は「カード」だった。昔は手帳で、名称はその名残りなのだろう。マイナンバーカードのように写真入りの証明書のようなものだった。窓口でカードを入れるビニールのカバーもつけてくれ、カバーには「身体障害者手帳」と書かれている。

障害者になってみて初めてわかること

脳卒中による右半身麻痺という後遺症を負うことで、健常者だった頃は気づかなかったことが気になるようになった。さまざまな場所で今まで見ていた景色が一変し、右半身だけではあるが手も脚も不自由なわたしにとっては危険だらけだ。

え、こんなところに段差があったっけ?とか、近所の交差点の信号が変わるのが早いとか、歩きスマホの人がどんなに脅威かとか。宅配で荷物の受け取りができない(持てない)とか、捺印を求められても自分では押せないとか。左手に杖を持つと、右手は不自由なのでゴミ捨てもできない。

行き慣れた場所ならいいが、初めて行く場所は環境がわからないだけに躊躇する。行ったことがある場所も、知っているからこそあそこは無理だなと判断して行かなかったり。明らかに以前と比べ行動は制限されたと思う。

まだまだ回復の余地はあるので、諦めずにリハビリは続けていくし、改善すればそういった悩みも減ってはいくのだろうけど、今感じている障害者としての視点も忘れないようにしたい。

この身体になってみて実感するのは、誰もが生きやすい社会の実現って実際はとても難しいということ。手帳の申請でわかったように障害の種類も多様だし、あっちを立てればこっちが…で、皆が納得するような福祉を整備することはなかなか困難だ。障害者だけでなく、マイノリティの人たちの生きづらさも少しだけわかるようになった。

ただ、環境要因によるところはすぐに変えられなくても、心持ちは変えられると思うんだよね。まずは困ってる人がいるってことを知ること。ちょっとしたことでも気にかけてくれたら助かるし、すごくうれしい。また自分もそういう人たちにとって優しい人でありたいし、安心して生きられる社会を作りたい。

Twitterはじめました。
よかったらフォローしてくださいね↓

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?