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【座談会レポート】T3 PHOTO FESTIVAL TOKYOファウンダーと振り返るACN芸術部とのコラボレーション (後編)

※本記事は、前編と後編の二回に分けてお届けします。
 
ACN芸術部は2021年よりT3 PHOTO FESTIVAL TOKYO(以下、T3)に参画し、クラファンの企画支援や作品展示、トークイベントでコラボレーションしています。2023年の会期が終わり一息ついた1月、T3のファウンダーである速水惟広さんをお招きし、ACN芸術部の参加メンバーと座談会を開催しました。前編では、T3とACN芸術部の3年間を振り替えり、日本の写真市場の状況やACN芸術部に期待されることについて対談しました。
 
今回の後編では各参加メンバーの思うT3参加の意味や写真という表現に出来ることについて語った内容を紹介します。


展示会場でのツアーの様子

T3に参加する意味や意義をどう感じるか?

佐藤(守):参加したメンバーはT3に参加して感じたことや変わったことはありましたか?
 
三原:写真を始めたのは3-4年前で、写真という媒体やアート性がよくわからなかったです。ソウル・ライターの写真を通してストーリー性を知り、T3に参加した時には衝撃を受けました。例えば学生の企画で聞いた細かい世界を広くとらえることやタイミングを描写すること。T3の展示で見た、写真を組み合わせて作られた山に見立てた立体写真。アートは「きれいに撮る」イメージが強かったですが、立体のやりかたなどもある事を知りました。写真史がよく分からないと思い、写真のゼミに参加し始めました。写真史から写真を学んだり興味が広がり深まる良いきっかけになり、T3に関わって良かったと思います。
 
遠山:私は音楽をやってきましたが、音楽を作るとライブなどで世の中に出ししたりします。写真は孤独なのかなと思いました。撮って印刷して飾ってしまえばその人の中でのアート作品でも、それ以外の世界を知らない人はたくさんいる。本当はアートや写真の奥深くを知りたい人はたくさんいるて、その世界があることをどう知ってもらうかを考えていました。音楽イベントを企画するときに音楽以外の人も巻き込もうとする。T3に参加する中で、写真でも出来る事があるのではないかと考えていた。
 
速水さん:面白いと思えるものを作れたら成功なのだと思います。写真はハイブロウな側面もあるので、知的な人に特に響きます。きれいなだけじゃない、きれいじゃないけどこう見ることができる、といった視点は写真が持っているもの。見方や歴史を知りどんな事が出来るかを知ると解釈が広がって面白いと思います。
 
伏見:小さい頃から広告や商業デザインに興味があり、グラフィックデザインが好きで写真にも興味がありました。大学に入って一般教養の授業で現代アートや近代写真美術の講座を受けていました。静物画の資料としての写真からアートになった話など、現代アートとの交差点、シュレアリストも好きで、ウォーホルが写真を撮っている事も知りました。自我が出過ぎたアートが好きではなく、写真は機械通すので作家と距離を取りやすいと感じます。写真家に関わる機会があると嬉しいと思いT3の活動に入った。運営の大変さも学びましたし、一人では行かないであろうFLAT LABOのような場所に行ったり、楽しい経験で自分の世界が広がる気分でした。
 
岡村:写真はここ2年ぐらいで撮るようになりました。ずっとオーケストラで楽器をやって来たので、耳以外で楽しむ創作もしたいと写真を選びました。写真に関する原体験はもっと前にあって、新聞記者をやっている父親が自分の書いた記事を見せてくれた時に、文章を読むのが億劫でも取材写真で様子が伝わるのが子供ながらすごいと思ったことがありました。それから報道写真展に興味を持ったり。撮影をする時の心持や被写体との関係を考えるようになったのはT3がきっかけです。写真は手軽でも撮る一瞬に様々な感情の変化があるはずで、それを解きほぐしたり言語化する先にアートと楽しむ世界があると良いなと思います。アートとしての写真の敷居を下げること、芸術部の活動としてT3と一緒に出来る事を考えて行きたいです。
 
佐藤(究):写真自体はそれほど好きじゃないけどカメラを買ってみたのが初めてでしたが、バックグラウンドや原体験の文脈だとナショナルジオグラフィックがずっと好きでした。それが潜在意識になって写真への親近感があったかも知れません。環境、地球環境、社会現象を撮る良い写真だと思います。
 
速水さん:写真はもはや日常で触れない事が無く、誰でも何かしらの接点を持っていますよね。アートから切り離して、例えばご飯の前に写真を撮ろうする行為についてを切り出して考えてみることもできます。それはどういう意味を持つのか、どんな社会環境がその集団的な行為を作ったのか?など。写真を考えることは社会を考えることにも繋がり、表現や感性以外の部分でも考られる楽しさがあります。
 
三原:文化によって物事をみる目線が違うことがありますが、それぞれの目線で見るものが写真になると思っています。
 
速水さん:写真も、例えば「撮影者と被写体との距離感」や「どこから撮られたか」など、"撮影者が現実とどう関わっているか"に気付くと見え方が変わります。音楽も楽器や音の組み合わせが分かると楽しいのと同じように、写真もわかると急に面白くなると思います。

写真は何を表現できるか?

遠山:写真を見ていてはっきり良いなと思ったこと一度だけあり、自分が同じものを見たと思ってもレタッチが全く違ったときにすごいと思いました。
 
速水さん:スティーブン・ショアという作家の言葉で、現実をどう切り取るか、選ぶか、写真はとても分析的な表現とあります。これは他の芸術とは違うことです。同じ言葉でも捉えられ方が違うように、視点が多様にあることを伝えられるのは写真の強さ。人によって捉え方が違う事を伝えられことを学ぶツールとして面白いかも知れません。
 
岡村: T3の連携企画TOKYO DIALOGUEで写真家と詩人・歌人・俳人のトークがありました。文字を扱う作家から見た写真の話が印象的で、京橋エリアをどう描き切り取るかの話がまさにテーマになっていたのを覚えています。写真自体はある瞬間ある部分の切り抜きで、そこに意図が入る事で分析的な作品作りができる。写真だからこそできることがあるのだなと思いました。
 
速水さん:言葉は写真に意味を投錨するものですが、重要なのはその関係性が、説明の為のイラストにならない事です。ある学生になぜ写真が好きなのかを聞いたところ、「写真を2枚並べることで、その間にある物語を想像できるから」と返って来ました。見えないものを表現することが出来る写真。それは、行間を読むことに近いかも知れません。言い換えると、作者によって提示されたものが答えではなくて、見る人が頭の中で補完し独自の解釈を行うことが写真作品の楽しみだと言えます。
 
佐藤(究):行間を読むことは今回の我々の展示に近いかも知れません。「人と人とは違う」、写真と写真の間にある共通点を感じてもらうコンセプトでした。
 
三原:言葉では無く写真でつなげるコンセプトで制作をしましたが、展示が始まってから改めて撮影者に写真の意図を聞くと視点のずれがあり、そこに個性が感じられて面白かったです。

最後に

岡村:速水さんから見た芸術部の展示作品について感想をお聞きしてみたいです。
 
速水さん:一つのテーマに対して作り上げていく活動と、一緒に撮った人、見ている人で共有することで生まれるある種の会話のようなものが良かったです。会話も含めて作品の一部だと感じました。初めての相手を理解したい、深い会話をしたい、チームビルディングをしたいときにも使えそうです。相手を否定しない会話の形だったので、一つのモデル、コンセプトとして提示出来たら面白いと思います。
 
佐藤(究):芸術部のような部活動が他の会社に広まったとして、T3の場をお借りして京橋や八重洲エリアの方々も含めコラボレーションしたり作品を作ったり、活動の幅を広げられたらきっと面白いですよね。ぜひ今年のT3も話し合いながら企画を進めて行きたいです。

展示風景

参考:
「私たちは一人ではない」に寄せて (T3 PHOTO FESTIVAL TOKYO 作品紹介)|Accenture Art Salon(アクセンチュア芸術部) (note.com)
 
Text: Yoshie Okamura|Accenture Art Salon