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何を手にするために、何と戦うか(#005:『どろろ』)

だれもがみんな百鬼丸

これからいくつも出てくる手塚治虫作品。
一番好きなのは、多分『ブラックジャック』。
まだインスタの方でもネタにはしてないけど…
この『どろろ』は『ブラックジャック』に近い作品だと思う。

『どろろ』
『ブラックジャック』

だれもがみんな「どろろ」でもあるし、
だれもがみんな「百鬼丸」にもなれる。

妖怪が見えちゃうのはイヤだけど…
妖怪と闘うのは辛いけど…
強い腕も
よく見える目も
よく聴こえる耳もほしい。

そしてあの人に届く言葉がほしい。

あったらどんなに素敵だろう…。

非力さと無力さ。そして「成長」

“どろろ”は主人公ではなく、“百鬼丸”が主人公。
身体のほとんどが無い、または機能しない状態で
妖怪を呼ぶという“呪い”まで背負った誕生。

この百鬼丸の誕生は「無力さ」と「可能性」を描いていると思う。
五体満足に生まれても、当然ながら、
剣をふるったり、山を登ったり、論文を書いたりはできない。
そういう意味で、普通の「赤ちゃん」でも、
機能的には五体不満足だ。

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でも間違いなく、無限の「可能性」がある。
「無限の可能性」が「妖怪」に負けるわけがない。
「使命」と言えるかもしれないけど…
これは、漫画だから「ある」んじゃなくて、
漫画だから「分かりやすい」ということ。
「五体満足だから」あるということでもない。

「腕」を手に入れるために!

そんな百鬼丸が、不揃いな身体ながら、妖怪を退治していき、
次々に身体の各部位とその機能を得ていく様は、
「子ども」が成長していく姿にも似ているけど…
どちらかというと…
「専門家」が自分に必要な身体器官を訓練していく姿に似ていると思う。

例えば、ピアニストであれば「手」と「耳」。
ある日、突然、
ピアニストの手と耳が「凡人」のそれになってしまったとすれば、
「人間の器官として」のは失われていないかもしれないが、
「ピアニストの武器」としては、失われている。

それだけ時間とお金、そして心が費やされている。
「練習」や「努力」が好きということもあるかもしれないけど、
「楽しく」はあっても「楽(らく)」ではないはず。
そうやって「特定の器官」が「強化」されている。
アスリートも同じだと思う。

アーティストであれば、アスリートであれば
アーティストでなくても、アスリートでなくても
基本的には「何か」と闘っている。
そして「超人的な身体(器官または機能)」を手に入れている。

「自分の腕」を手に入れるために「妖怪」と闘う百鬼丸と
「一流の腕」を手に入れるために「鍛錬」を重ねるプロフェッショナルは
同じだと思う。

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「贅沢な悩み」はどうしても必要か。

彼らはもうひとつ、苦悩を抱えていると思う。
それは、「普通」でいられなくなったことの辛さ。寂しさ。
「有名人」が気軽に外を出歩けなくなることはよく聞く話だけど…
アスリートでもアーティストでも、
日常のなかでいろんなことに配慮をしているらしい。
ハンドタレント(手タレ)は
缶ジュースも開けないし、みかんの皮も剝かないとかね。

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