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ギフトとかいうけれど。

私は、とても生きづらい。

HSS型のHSP?
カテゴライズしてしまうのも嫌だけど。
言い訳しているみたいで嫌だけど。

大人しくしていれば良いものの、それもできず好奇心に負けて色々とやり始めてしまう、不器用なクセに。
それでとても凹んで苦しくなる。
それでも懲りない性格で、何かを(挑戦)せずにはいられない。
HSS型HSPあるある。

こういう私に、度々「それはギフトだってわかっているよね」などと
言ってくる人がいる。
当事者からすると、落ちこぼれている人に対しての慰めにしか聞こえない。

普通が幸せじゃない?
子供の頃、親が私に「普通が一番」ってうんざりするぐらいに言っていたのは、「普通」ではないと思っていたからなのかな?と、今になって思う。

幸せとは、すごく大きなものではなく何事もなく淡々と生きられること
だと戒められているのだろうか。

小林正観さんの本にあるように、三次元的な
「夢や希望」
「自己啓発」
「上昇志向」
「向上心」…
執着は捨てて生きたい。
執着を捨てた人を「解(ほど)けた人」と呼び、「ほとけ」の語源なのだとか。

今の私の人生が、この世に生まれ出る前に自分で書いたシナリオなのだとしたら何度も同じ試験問題を出している局面な気がする。
合格点に達しないから、同じ様なことを繰り返しているのか?
自作自演だ〜。

色々な考え方、捉え方はあると思うけど私はこの特性を無くす為にどうにか
しようとしないようにしたい。抗う方が苦しい気がするし、これは意味があることで、「普通」が何よりも幸せなことだと思えたとしたらこの特性は本当に「ギフト」だったと思える。
問われなければ、答えを導き出すこともしないしね。

と、書きながら心のモヤモヤを整理してみているのです。






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