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季節外れな話題やけど、花見ってなぜやるんだ?

修士課程1年目をやっている京都芸術大学大学院は春夏秋冬の4シーズンで分けて単位を取っていくんだけど、とりあえず春シーズンで取らないといけない単位は取れた。5つの課題に取り組んで、のたうち回りながらもワークをして班のメンバーとSNS上で議論し、レポートを出した。

評価はABCDの4段階で、60点以下はDで赤点、60点台がC、70点台がB、80点台がA、90点台がSだと思う。結果は多分標準くらい(笑)

で、やりながら面白いと思った課題が2つある。1つは「現在あるものが伝統文化になるためには という考察をする」もの、もう1つが「桜の花見をデザインする」もの。

2つ目の「桜の花見」をデザインするためにいろいろ花見の歴史を調べたら、結構面白かった。「平安時代+貴族+梅」から始まり「鎌倉時代+武士+桜」、「江戸時代+庶民+桜」と広まっていった経緯や、桜の代表格である全国に植えられているソメイヨシノが実は1本の品種改良で出来た最初のソメイヨシノのクローンであることとか。

で、花見がなぜするかを紐解いていったら、普段取れないコミュニケーションをとるためなんじゃないかというところに行きついた。それは江戸時代が結構その色が濃くて、特に女性は家に籠っていることが多いので花見が外の人との接触の場だったり合コン的な場だったりしたようです

一説には乱交みたいな風習もあったとか。

振り返って僕が生まれてから経験している花見は確かに普段取れないコミュニケーションを目的にした面があるなあと思った。「新入社員連れて花見に行って無礼講」とか「地元自治会主催の花見カラオケ大会」とか・・・

でもスマホが浸透し、SNSでコミュニケーションを取るようになってから、そんな非日常のコミュニケーションってのが無くなっていると思う。それと同時に花見も目的が変わってきていて、「一人でぼんやり花見」とか、「家族でお弁当持って」とか。
社会的なコミュニケーションを取ることより家族団欒の方が非日常と化していてそれを行うために花見を使っているように見えた。

ってことで、タイトルの問い「花見ってなぜするんだ?」
「誰と行く」とか「桜の下で何をする」とかは考えるだろうけど、「なぜする?」はなかなか意識持って行ったことないかもですね。
一度考えて言葉にしても面白いかな。

他に習慣化していることも「なぜやるの?」を問うてみるといろいろ変わるかもね。盆休みの帰省とか、父の日とか。


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