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「幻想に順位がある」から「奇跡に難しさの序列はない」へと思考を逆転させる


奇跡に難しさの序列はない

私たちは、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の実践を通して何を修得していくのか?

というなら、「奇跡に難しさの序列はない」という奇跡の第一原理を修得していくのだと言うことができます。

それというのも、それが本来の正気(正しい心)の知覚の仕方だからです。

つまり、イエス/聖霊が知覚しているように、その知覚の仕方を私たちは修得していくのだということです。

その原理(法則)こそが、「奇跡に難しさの序列はない」という奇跡の第一原理なわけです。

ただし、私たちはその原理に基づいた知覚の仕方をまったく忘れてしまっています。

今や、それとは真逆の原理に基づいた知覚の仕方をしています。

それが、「幻想には順位がある」という混沌の法則(T-23.Ⅱ)に基づいた知覚の仕方というものです。

要は、普段の私たちが知覚しているものは、まったく誤った知覚なのだということです。

私たちは、この外側の世界にあらゆる違い、差異、順位、優劣を知覚しています。

私たちは、それが分離の思考体系を象徴するものであるということをまったく認識することなく、まったく疑うこともなく、その知覚を信じ切っています。

違い、差異、順位、優劣を見ることによって、私たちは肉眼で見ているこの世界に縛り付けられているだけでなく、自我の分離の思考体系を強化し続けているということにまったく無自覚になっています。

ですから、コース学習者の私たちは、それを訂正していくことが求められているのです。

その訂正とは、すべてを「同じ」として見るというものの見方、考え方をしていくということです。

それはどのような実践なのか?というなら、さほど大したことではない動揺のように思えても、たとえそれが些細な動揺であるかのように思えても、区別することなく、その動揺を使って「心」に戻る練習をしていくということです。

そういう実践を徹底していくことで、動揺に大きい小さいは関係ないということが体験的に分かってくるのはもちろんのこと、それだけではなく、動揺そのものの捉え方がこれまでとまったくちがったものになっていきます。

つまり、動揺を嫌なものとしてではなく、赦しのレッスンの機会として捉えていくようになるということです。

いわゆる、それをコースでは「思考の逆転」と呼んでいます。


すべてを普遍化していく

すべてを等しく同じとして見ていくことは、つまりは、価値判断(ジャッジメント)することなく見ていくと言うことができます。

それは、特別性、個別性という概念がなくなっていくことを意味します。

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