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目覚めている?目覚めていない?


ワンネスを反映した知覚の仕方とは

目覚めている?目覚めていない?

ということでいえば、

目覚めている者の特徴は、自と他の共通の利害を生きている、と言うことができます。

それは、「自分と他者は別々ではない」「私とあなたは別々ではない」というふうな見方、考え方で見ているということです。

つまり、目覚めている者は、分離の世界を外側には知覚していないということです。

彼らは、すべてを「自分」として見ていますし、「私たち」というふうに認識しています。

それは、まさに「分離は起きていない」という贖罪の原理を反映した知覚の仕方だと言うことができます。

そのように見るとき、個別性、特別性といったものがありません。

逆に言えば、そのように見ていないならば、目覚めているとはけっしていえないということです。

そもそもが「分離の夢から目覚めていく」とは、すなはち、私たちは「一なるものとしてつながっている一体性(ワンネス)」(T-25.Ⅰ.7:1)であることを思い出していくことであるわけです。

ならば、自分以外の誰かが外側に居るわけがありません。

そう、すべて(の兄弟たち)を自分(の一部)として見ていく、つまり、「私たちは等しく同じものである」として見ていく見方こそ、ワンネスを反映した見方であるといえます。

コース(奇跡のコース/奇跡講座)はそのような知覚の修得を目指しているスピリチュアリティ(霊性の道)なのだということを知っておきましょう。


目覚めていくとどうなるのか?

目覚めていくとどうなるのか?

というなら。

コース(奇跡のコース/奇跡講座)でいえば、「神の教師」という言い方で表現されています。

コースの学びの階梯を上っていくにつれて、やがて必ず私たちは「神の教師」になっていくということです。

つまり、神の教師とは、目覚めゆく者たちの象徴ともいえますし、「目覚め」をそのまま表現している在り方の象徴だと言うことができるでしょう。

「目覚め」とはいったいどういうものなのか?
「目覚めている」とはどういうことをいうのか?

そのことについて、コースの『神の教師のマニュアル』の中に以下のように述べられているので、かなり参考になります。

夢を見ているという自覚こそが、神の教師の真の機能である。彼らは、夢の中の人影が行き来し、千変万化し、苦しみ、死んでゆくのを見つめる。だが、彼らは自分が見ているものに騙されない。夢の中の人影を病んで分離していると見ることも、健康で美しいと見ることも、同じく実在性のないことだと、認識している。一体性のみが、夢からのものではない。そしてこれこそが、神の教師たちが夢の背後にあるものとして認識しているものであり、あらゆる外見を超えたものではあるが確かに彼らのものだと認めているものである。(M-12.6:6)

奇跡講座/中央アート出版社

上記の文面からわかることは、神の教師はこの世界で起こることやこの世界の人たちのことをただそのまま受け入れているということです。

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