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アルファでありオメガである、時間のはじまりであり時間の終わりでもある場所

心を忘れた状態から心を自覚した状態へ

私たちは、自分が誰なのか?自分は何をしているのか?ということをまったく忘れた状態になっていると言うことができます。

それゆえに、私たちはその答えをさがして、この人生においてさまようわけです。

そのような状態を、ワプニック博士は「心を忘れた状態(マインドレスネス)」と呼んでいます。

ですから、コース(奇跡のコース/奇跡講座)の学びと実践を通して何をしているのか?

というなら、心(の自分)を自覚していくことをしているのだといえます。

というのも、それこそが真のアイデンティティーであるからです。

「心(の自分)を自覚する」とは、自分は個別の肉体として存在しているのではなく、一なる心なのだと再自覚することを言います。

そのために、コース(奇跡のコース/奇跡講座)の実践では、心に戻るという訓練をしていきます。

心に戻っていくには、投影に気づいていく必要があります。

「外側のすべては心を映し出したものの影である」と気づいていくということです。

それが投影だと気づいていくとき、知覚しているものすべてが自分の一部(影)であることを認識していきますし、同時に、外側に世界はない、他者はいない、自分はこの世界の中にはいない、ということを思い出していくことになります。

それに気づいている自分は、もはや個人の自分ではなく、個人性、個別性を超えた自分です。

もちろん、その自分は肉体でもなければ、この世界の中に属する者でもありません。

その自分こそが私たちが忘れてしまっている「心」の自分、つまり、真のアイデンティティーなのです。

心(の自分)を自覚していくにつれて、どうなるのか?

というなら、

自分は心であることを自覚したところから見るならば、自分はこの世界(時空)の夢の外側から夢の主人公の五官の窓を通して、この世界の夢を体験しているだけ、ということが明らかになります。

つまり、「この夢を使って自分は自分で自分にこれを行っている」(T-27.Ⅷ.10:1)ことが分かったところから見ることができます。

そこから見ている「自分」とは、ワプニック博士の解説でいうところの「(心の)決断の主体」と呼んでいる者のことです。

自作自演の夢であることを思い出したところからすべてを見るとき、そのすべてが虚偽であると知覚することができるのです。

自分はただ虚偽を信じていただけだったのだ、と。

まさにそれが、「赦しの視点」から見た知覚であり、つまり、イエス、聖霊と共に見たときの知覚です。

それを、「赦しのまなざし」「ヴィジョン」とコースでは呼んでいます。

その自分は、この世界の夢の外側から見ています。

いわゆる、時空の外側からすべてを見ています。

空間もない、時間もない、「いまここ」に、ただ在り続けています。

その自分は、「永遠の今」という時間も空間も超越したところにあり続ける者です。

その真のアイデンティティーが自覚されていくにつれて、本当の自分は時間のはじまりでもあり時間の終わりである場所にいるのだということが自覚されていきます。

まさに、「自分はアルファでありオメガである」というその意味を理解するようになります。


”それが、「われは、アルパなり、オメガなり、はじめなり、終わりなり」、「アブラハムの生まれいでる前より、われは在るなり」ということの本当の意味である。”(T-3.Ⅲ.6:5)

奇跡講座/中央アート出版社


その自分とは、「心」の自分、つまり、「夢見ている者」の自分です。

もちろん、その自分は、個人ではありません。

個を超えた、個別性も特別性もない、全体なる者です。

その自分を自覚していくことが、つまり、真のアイデンティティーを思い出すということであり、それが、このコースの赦しの実践の目的なのだということを覚えておきましょう。


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